NHK「見えた 何が 永遠が 立花隆 最後の旅」(所感、信仰者の立場から)

「見えた 何が 永遠が ~立花隆 最後の旅」

2023年 NHK放送

 

1時間40分の番組を今回、初めて視聴しました。TV録画とエンコード日課となっている日々ですが、ここ数年来、録りためた未視聴番組がわりと膨大な量になっております。いざ番組を見だすと、示唆にとんだ言葉や問題意識が次々と語られるので、途中からメモを取りながらみていました。今回はそれらをざっくばらんに引用の上、個人的な所感を述べてみようと思います。あくまで信仰者としての立場から書いた感想ですのでご了承ください。

 

 

立花隆

東大フランス文学科卒業後、文芸春秋に入社するが、全く興味のないプロ野球の取材をさせられて退社し、東大で哲学科に入学し直す。

読書家でありジャーナリスト。徹底した取材と分析にもとづく「田中角栄研究」を著して、金脈政治を暴き、政権を退陣に追い込んだきっかけをつくった。

読書量もすごいが、数多くの専門家、科学者に会い取材を重ねた。ジャングルの奥地で行きインディオとも交流している。

 

また多くの著書を出版されており、私が読んだ記憶があるのは、

『思考の技術―エコロジー的発想のすすめ』『宇宙からの帰還』『「知」のソフトウェア』『青春漂流』『脳死』『臨死体験』など。比較的古い本ばかりで、後半生のものはほとんど読んでいません。『思考の技術』だったと思いますが、「記憶術の要諦は、瞬間想起にある」と書かれていたのを覚えています。

 

2021.4.30夜に入院先の病院で心臓の血管がふさがる急性冠症候群で亡くなりました。

※心臓へ血液を運んでいる冠動脈が狭くなったり、詰まることで引き起こされる病気。

長年、膀胱がんや糖尿病、高血圧や心臓病など多くの病気を抱え、入退院を繰り返していたようです。

 

もう少し長生きしていただきたかったですね。

以下、番組からの引用と所感です。

 

 

文芸春秋を辞めて東大哲学科に再入学

「当たり前のことではあるが、人間可能な限り、やりたいことをやるべきだと思う」

「僕が知りたいと思うただ一つの事。僕自身とはいったい何者であるのか。それを知るために僕は本を読み続け、生き続けてきた」

 

 

読書リスト

・10万冊の所蔵が「ネコハウス」にあったが、死後一冊残らず売り払った。

・1冊の本を書くのに100冊読む必要がある。

 ※I-O比(インプットとアウトプット)

 

1970年代の手帳に、呼んでいたと思われる膨大な量の本のリスト。そして勉強することのリスト。文学、哲学、社会学、数学、あらゆる分野の本がリストアップされている。

 

「知りたいことを教えてくれる学問はない。知識を得ようと努めながら無知があらわになっただけ」

「机上の学問より、実践の中により多くの真理がある」

「明らかに見、確信をもって生きるために真偽弁別力をつけたい」

 

 

人間はどこから来て、どこへ行くのか

「人間はどこから来て今どこにいてどこへ行こうとしているのか、そこのところをいろんな角度から光を当てて考えて続けてきた」

 

これは、あらゆる人々にとって普遍的なテーマでしょう。

ゴーギャンの絵のタイトルでも有名です。

 

 

「全てを進化の相の下に見よ」 

ティヤールド・シャルダン氏の言葉です。

誕生以来、進化を辿ってきた生命は、未来にはどのような姿になっているのでしょうね。

 

 

田中角栄研究

1974年11月、月刊文藝春秋に発表した「田中角栄研究~その金脈と人脈」は、当時の総理大臣・今太閤と呼ばれた、田中角栄内閣を退陣に追い込むきっかけを作った。

取材は、従来とは全く異なる「オープンソース・ジャーナリズム」という手法。公開された情報を駆使して真相に迫るというもの。具体的には、田中氏に関する土地や会社の登記簿のコピーを片っ端から集めさせ、それを起業や人ごとに詳細な時系列の表や図にまとめた。また、ある企業が別の起業に投資した時系列の推移を作成し、その投資の流れから実体のない企業をあぶりだし、田中氏の不透明な金の流れをつきとめた。

 

 

「あのために俺どれだけ人生損したと思う?本当に腹立つよね。めちゃくちゃ時間使わされたから、角栄にね。もう本当にやめにしてほしい。こっちはこっちでやりたいこと全然別の方向にたくさんあるわけですから」

 

腹を立ててるのに痛快さを感じられる。

本当はやりたいことが別に山ほどあるのに、放り出すことのできない痛切さが伝わってきます。

 

 

境界

文芸春秋 元社長 平尾隆弘

「『人間とは何か』を知るための手掛かりを探っていた。見当識とは、「自分が誰なのか、今どこにいるのか、今がいつなのか」を把握する能力を示す医学用語。全体を俯瞰し、自身の立ち位置を知る。この考え方が、様々な境界を知ることにつながっていった。生と死、地球と宇宙、人間とサル・・・など。立花さんにとって、知に限界はなかった。分からないことをはっきりさせたいという関心はすごく強かった」

 

立花さんの著作には、脳死』、『サル学の現在』など「境界」を意識したものが多いですが、私が最近よく考えるのは、「生命」が「無機物」から生み出された不思議さについてです。

生命とは、①膜がある ②代謝を行う ③自己複製する との3つの条件を備えるものですが、さらに先の「進化」という概念と合わせ、「生命」が無機物の塊でしかなかった「原始地球」から生み出されたもの、という驚くべき事実に思いを馳せます。かつて地球の歴史で、少なくとも一度は無機物から生命が誕生した瞬間があった。そしてそれ以後は起きないのです。生命は、基本的に生命からしか生じないからです。なのでたった一度でも無機物から有機物が生じ、生命へと進化していったというのは途方もなく奇跡的なことなのです。それは偶然なのか、必然なのか。偶然だとしたらあまりにも奇跡的すぎるし、必然だとしたら宇宙そのものに生命を生み出す働きが予め内在していると言わざるをえません。仏法の生命観からいえば、これは必然的なことと考えられます。現在の天文学においても、他の無数の天体の中には、我々以外にも生命の星があり、我々人間のような知的生命体も、実は広大な宇宙の中に少なからず存在していると考えられているようです。これはまたの機会に取り上げたいと思います。立花氏がいうように、世界の真実はまだまだ未知のものや謎がたくさんあって、「分からないから面白い」というのもありますが、できれば「分かりたい」「知りたい」とも思います。

 

 

人間の文化的営為とは何なのか?

「そもそも我々人間がやっている文化的営為、それは一体何なのかという問題があるわけです。それは人間の存在あるいは人間が作り出す文化を、どういう視点からとらえるかという問題なわけです。それは一体、誰がどうやって、誰がどうやったところは、どうやって判断するのかという、その哲学的な、根本的な分け目のところが、人類史の中で誰もちゃんと回答していない、回答できない。そういう部分があって、じつはそこが一番面白い部分があるわけです。だいたい哲学って、僕は実は哲学の卒業生でもあるんですが、哲学の最も面白いところはそこにあるわけです。学問の面白さの相当部分は、じつはその辺りにあるわけでして」

 

世界中の、宗教、思想、文化など各界を代表する人物に集まってもらって論じてもらいたいテーマですね。仏法者として一言でいうなら、「諸法実相」「下地獄より上仏界までの十界の依正の当体・悉く一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなり」であるし、「三世を遊楽する生命の旅」であると思います。

 

 

最後は『歴史』の本を書きたい

「初めは自分がどういう歴史の中にいるのか分からなくて、どんどんこの流れをさかのぼっていくと、人類のそもそもの流れを考えなければいけないということになってきて、結局宇宙の始め、ビッグバンまでいかないと、歴史というのは語れないというかね」

「だから僕はずっと昔、僕は最後には『歴史』という本を書きたいと、その『歴史』というぼくの本は、ビッグバンから始まる歴史を全部書きたいと。ビッグバンから始まってどうしてここまでこう来たのかという、要するに我々の現在、自分自身の現在、そして其の現在を踏まえての将来の展望。それが全部わからないんだと」

 

人類史を俯瞰するというと、ノア・ハラリ氏の「サピエンス全史」のような著作がありますが、立花氏も「サピエンスの未来」という本を書いておられます。こちらは、フランス人カトリック司祭で、古生物学者・地質学者テイヤール・ド・シャルダン(1881-1955)の進化論について解説したもの。レビューを見ていたら、どちらも読んでみたくなりました。

 

 

個性

「個性というのは捨てないで取ってあるもの、全てを含めてその人の個性なんです。だから片っ端から何でもいいから捨てちゃえ捨てちゃえというのは、自分の個性を切り落とすことなんです。人間の本能そのものが捨てられないようにできているからです。つまり人類史がなぜここまで進化したかと言えば、色んなものをとりあえず取っておいて、捨てないで後々の利用まで考えて、計画的にその後の生活をしたことによって、人類と他の動物が全部違ったんですね。だいたい捨てることに熱中するというのはマイナスの発想ですよね」

 

モノに関していうと、私もどちらかといえば捨てられないタイプ。でもどんどんモノが増えて困ります。要するに整理、分別がうまくできてないという問題でもあります。

 

 

人生は「のほほん」ではない

「あなたの職業は何ですかと聞かれたら、僕は勉強屋(と答える)」

「社会に出ても何となく大学時代ものほほんと過ごしてね、社会に出てものほほんとしたまま終わっちゃう人って結構多いでしょ。結構多いというかそれが大部分だから。でも僕は人生は「のほほん」ではないと思うんですよね。やっぱり人生において何らか意味あることを成し遂げる人というのは、その人の中に何かある種の情熱というものを持って生きていく人ですよね」

 

のほほんと生きていたいですが、情熱と行動がなければ「何者」にもなれませんね。

 

 

無知の知

「知の営みは、やればやるほど分からないことがさらに広がっていく。何を知らないか。何をどれほど知らないか、だんだん分かってきた。その知らなさの具合が分かってきた」

 

知の巨人といわれながら、ソクラテス無知の知を思わせる謙虚さ。絶えず「探究者」でありたいという、純粋な好奇心が伝わってきます。

 

 

死生観

「人間というのはそう簡単にがんから逃れられないと、生きることそれ自体ががんを育てている、そういうことが分かってくるわけですね。やっぱり人間は基本的に死すべき動物というか、だから死なないというのはあり得ないです。だからどこかで病気がその辺に差し迫ってきたとしても、どこかでその来るべき死を受け入れるスイッチを切り替える以外にない」

 

生老病死」は生命にそなわる「宿命」でありますね。若き釈尊は、この人間が避けることのできない「宿命」の解決のために求道の旅に出たのでした。私も死生観がガラリと変わる瞬間というのがありました。

 

 

自分探しの旅

「結局、僕はどんな人もその人の一生というのは、生れてから死ぬまで全部が自分探しの旅をしてるのだと思うんです」

 

「世界ではなく自分自身を征服せよ」とのデカルトの言葉を思い出します。「自分探し」というと色々な解釈ができそうですが、自分自身となるということは、世界を征服する以上に、困難かつ奥が深いことであるのでしょう。

 

 

人は死んだらどうなるのか?

1991年の番組、「立花隆リポート 臨死体験

「人間は死ぬときに何を体験するのか。死んだらどうなるのか。一切が消えて無になるのか、それとも何らかの死後の世界があるのか。これは死んで蘇った人がいない以上、永遠の謎です」

臨死体験者のリストを作り、一人一人の証言をまとめた。臨死体験者への取材、日本だけで300人以上にのぼった。しかし結論を出すことはできなかった。音声記録には、調べても調べても答えを得られない苦しさを訴えが残されていた。

「いずれにしても人間というのは必ずいつか死ななければならないわけです。ところがでは一体、人間が死ぬというのはどういうことなのか。死んだらある意味でどうなるのか。そういうことについて人間というのは誰一人確実な知識を持っていないわけです。自分の死あるいは人の死というものを考える手がかりは何かというと実はない。何もないわけですね。いつかは人間死ななきゃならないんだけれども、死んだ後どうなるかという確実な情報は誰もくれないわけです。人間の人生というのは自分の死を死ぬ瞬間に、よい死を死ねるかどうかということがおそらく人生にとって一番大切なことではないかと思います。じゃあそういうことで今度自分の死というものを考え始めると大抵の人はものすごく心の中で苦しくなる、辛くなる。自分の死というものは、なんとしても自分自身で考えたくない。そういう対象のわけですね」

 

死について考えることは重要な意味を持ちます。

池田SGI会長は、ハーバード大学での講演で、現代は「死を忘れた文明」であり、人々は「死」を忌まわしきもの、直視したくないものとして遠ざけていると。

しかし日蓮大聖人はこのように言います。

 

「されば先(まず)臨終の事を習うて後(のち)に他事を習うべし」

 

まず「臨終」のことを習った上で、死生観に立った生き方をすべきであるとし、寿量品の久遠の釈尊の生命観に基づき、「一生成仏」の生き方を勧めます。仏法では「生は死の準備」であり、日々目ざめと睡眠を繰り返しているように、生死もまた繰り返されます。多くの人は将来に不安を感じ、勉強したり、貯蓄をしたりするわけですが、それと同じように「心の財(たから)」、つまり功徳・善根を積み、豊かな生命を磨いていくことが、いわば死への備えとなります。生死を繰り返す生命には因果、業がそなわり、前世の業が今世に。また、過去世から今世に至るまでに蓄積された業が、来世に引き継がれる、と考えられるからです。ですので、妙法の三世の生命観に立ち、今世のうちに宿命転換を果たし、一生成仏していくことが妙法の仏道修行となります。

 

 

がん

世界中を飛び回りがんの正体そのものに迫ることにこだわった。パリの研究者を取材し、がんが進行するメカニズムを尋ねる。がんは免疫細胞を作ることで進行するらしい。がん細胞は生命発生の仕組み、新陳代謝の仕組み、傷を治す仕組みを利用して身体を蝕んでいる。がんは生命の仕組みと分かちがたく結びついているという。

 

「ありとあらゆる手段を自ら作り出して困難を突破していくがんの能力というのが、ありとあらゆる困難な状況の中で生命というものが生き抜いてきて、今日の生命全盛時代みたいな、そういう時代を生き抜いた生命の歴史そのものが、がんの強さに反映している」

 

「がんは半分自分で、半分エイリアン。がんをやっつけようと思っても、エイリアンの部分だけをやっつけられればいいんだけれど、半分は自分なんですよね。がんは考えていくほど『人間とは何か』、『生命とは何か』と考えさせられますよね」

 

「がん患者はがんに必ず敗北する。闘病という意味では敗北するが、闘病イコール人生ではないですから、(がんに敗けても)人生で勝つことがあるといえる」

 

 

臨死体験

臨死体験研究の世界的権威 レイモンド・ムーディー博士

「そもそも人生は死ぬまで理解できないものなのです。私たちが死ぬとき何があるのか、私たちの論理や思考が不十分なため、なかなかわからないのだと思う。そして死ぬときは臨死体験という冒険が待っている。私もあなたも好奇心を抱きながら人生を全うしていくのでしょう」

立花「あなたがどこか落ち着ける永遠の場所を見つけられることを祈っています」

 

臨死体験者の証言は、体験者の証言でしかない。それが客観的にどうのこうのはいうに足りないエビデンス。いかに体験者が、これが自分として生のリアルそのものだったと主張しても、それを彼以外の誰かにエビデンス付きで認めさせるというのは難しいですよね。基本的に臨死体験というのはそういう性格を帯びている。その人にとってはすごいリアルで、本当に起きたこととしか思えない。でも他の人にそれを伝達できるかと言えばできないでしょう」

 

立花さんが最後に出した結論は、死後の世界の存在を証明する科学的証拠はなく、死んだら物質的には無に還るというものでした。

 

「死の向こうに死者の世界とか霊界といったものはない。死んだら全くのごみみたいなものとなる。意識なんてものも全く残らない。これが一つの唯物論的な、即物的な考えで、これは微妙なところです。こういう考えに賛成する人もいるだろうし、そうでない人もいると思います」

この取材の後、立花さんは自分をごみとして捨て去ってほしいというようになった。

 

 

人は死ぬ時どうなるか(つづき)

死ぬ間際の臨死体験を科学的に説明できるか、世界中の科学者に執拗に話を聞いて回った。しかし死後の世界があるという科学的証明はなかなか得られなかった。

 

「人間は不死ではなく死すべき運命にある。しかし人は死すべき運命にあると自覚したとたん、その運命を乗り越えることができるのではないかとも思った。自分は弱い人間だけれど、周囲に支えられてこうして生きてくることができた。その周囲の人に対して最後に『ありがとう』の一言を言いたい。人間の命は単独であるわけではなく、いくつもの限りある命に支えられて時間を過ごしていく。周囲に支えられて存在するという意味において『いのち連環体』という大きな輪っかの一部でもあります。そしてそういう連環体が連なって大いなる『いのち連続体』をなしている、そういう風にみることができると思います」

 

「人間の命は単独であるわけではなく、いくつもの限りある命に支えられて」

というくだりは、縁起説そのものであるように思われます。

 

 

「どういう哲学をもってしても本当のところはよく分からない部分というのは、人間にとっては永遠に残る世界に、そういういような在り方で人間は生き続けてきたし、これからも生き続けるんじゃないか。生きるというのは面白い。分からないから面白い。人間という存在はもっと豊かで、そう簡単にこうだと言えないという、そこに面白さがあるという気がした」

 

結局、「知」という次元では「死」について何も知ることができないわけです。釈尊は成道後の最初の説法で「不死の門は開かれた」(中村元訳『仏典』1)といっています。法華経が説かれてのはもっと後ですが、寿量品に示された「三世」という生死を踏まえて、不死の扉となるのは、やはり「信じる心」であろうと思います。「信」も「知」も、互いに補完し合うものでありどちらも重要ですが、心の根本にはだれしも、何らかの「信」というものがあるものです。それは唯物論者だってそうです。では科学的根拠などない状態で何を信じるのか。それによって生き方や心の向かう方向は確実に変わるでしょう。妙法の信仰者においては、こうした信念にもとづいた実践や経験によって得られる充足感や確信こそが、何より大切であろうと思います。

 

法華経薬王品第二十三

「此の経は則ち為(こ)れ閻浮提の人の病の良薬なり。若し人病有らんに、是の経を聞くことを得ば、病即ち消滅して不老不死ならん」

 

 

竹藪

「竹藪ってなんだか知ってますか。竹は全部地下茎でつながっているんです。そうすると、竹がある山はあれは一山全部一つの植物なんです。人間の知的な営みも実は地下でつながっているんです。みんなの頭の中にあることはどこかであなたがたの頭に何らかの形で取り込んだわけです。人間の知識の体系みたいなものも、そういう風につながっているんです」

 

ユング集合的無意識を思わせますね。仏法の「九識論」でも、それぞれの「個我」は、生命の深層の次元で「大我の生命」とつながっているとされます。唯識論では八識のみですが、仏性を知る天台教学の立場からは、九識が展開されます。

 

日女御前御返事

此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり

 

集合的無意識

ユングが提唱した分析心理学における中心概念であり、人間の無意識の深層に存在する、個人の経験を越えた先天的な構造領域である。普遍的無意識とも呼ぶ。個人的無意識の対語としてあり、ユングジークムント・フロイト精神分析学では説明の付かない深層心理の力動を説明するため、この無意識領域を提唱した。 

集合的無意識 - Wikipedia

 

九識論

九識 の内容・解説 | 教学用語検索|創価学会公式サイト-SOKAnet

 

 

総合知

現代社会において最大の問題は、あらゆる知識がどんどん細分化し断片化し、ありとあらゆる専門家が実は断片のことしか知らない。専門家が総合的にものを知らない。それが現代における最も危機的な部分であるから、断片化した知を総合する方向にいかなければいけない。自分を教養人に育てられるかどうかは、自分自身の意思と能力と努力次第なんです」


専門化にしろ、多様性にしろ、人類全体がどのような価値観に基づき、いかなる方向へ進んでいくのか。荒々しい猛威や蛮行をどのように制御していくのか。

というのは、とても重要な難問です。

 

 

50年後の未来へ

「50年後というのを考えた時に、50年後の未来社会の萌芽はすでにこの世の中にあるんです。それは間違いなくあるわけです。しかしどれが本当の、つまり50年後の社会が来た時に、その時実現するそういうポテンシャリティを持ってる、それを最大に持ってるかは分からないわけです。分からないけれども、とにかくトライしないとどれが本当かは分からないわけです。だから常に分からない状態の中でトライにトライを続けるということが、我々人間が置かれた運命なわけです。

その時必要なものは夢見る力なんです。単に夢見る力だけじゃなくてその夢を見つつ、そうなってほしいとか、それを実現させたいとか、そう思うパッションが出てくると、その夢それ自体が自己実現能力を持ってくるわけです」

 

 

ずっと勉強している

文芸春秋元社長 平尾隆弘

「平尾君、元々俺は勉強が好きで勉強が仕事だって言ってきたけど、一番勉強してるのは今なんだよ」と。「どれくらい勉強してるのか、ずっと勉強してる」と言っていた。

 

立花さんは、誰かが辿り着いた知を集積するのではなく、人間一人一人が学び高めていくことに意味を見いだしていたのではないか。

 

 

「見えた、何が、永遠が」

40代の著作「エーゲ 永遠回帰の海」の一節。

8000kmのエーゲ海の旅の末にそう書かれた。

「かつてそう書いて詩人を廃業した詩人がいた。永遠を見る幻視者たりたいと思うが、それを本当に見るのはこわいような気もする」

 

紀元前の遺跡だけをひたすらめぐる旅。人間の営みとそれを超える何かを感じ取ろうとしていた。

 

 

 

全てを進化の相の下に見よ

20世紀を代表する進化生物学者 ティヤールド・シャルダン 新たな進化論

 

 bookclub.kodansha.co.jp

 

「全てを進化の相の下に見よ」それはあらゆる分野を学んだ立花さんが、万物の歴史は全て進化の歴史だと語る言葉から始まっていた。ビッグバンで始まった宇宙は、素粒子を生み、原子となり、物質へと進化しました。それは星を生み、生命を生んだ。その進化の果てに脳を発達させ生れた人類、その次の進化の舞台こそ知だという。人類の知は今後、相互に影響し合い、さらに複雑化。個々の人の意識が蜘蛛の巣のように絡み合う。それにより人類全体がより高次の意識を持ち次のステージに立つ」と立花さんは記していた。

 

 

人間が獲得した新たな遺伝

「動物の場合、世代を超えて伝承される情報は遺伝情報しかない。しかしヒトの場合ははるかに大量の情報が言語情報として世代を超えて伝えられていく。これは人間だけが獲得した新たな遺伝の形式だという。人間の持つあらゆる知識が総合されて、一つの一貫した体系として共有されるようになってきた。これらの動きの延長上に人類全体が一体となって志向するような日が来るだろう。超人類の誕生であり、超進化。ヒトという種のレベルを超えた進化が実現する」

 

情報や文化を遺伝と呼ぶのは以下の書でも知られます。

唯物論者として有名な方です。

利己的な遺伝子 40周年記念版 : リチャード・ドーキンス, 日髙敏隆, 岸 由二, 羽田節子, 垂水雄二: 本

 

 

 

結局、立花さんの死生観がどういうものなのかは、番組で明確には述べられなかったように思います。数多くの取材を重ねたが結局、客観的には何も分からないのだと。その上で、何らかの結論を立てていたのか。唯物論的な「無」と考えていたのか、何らかの「永遠」を感じていたのか・・・。

 

 

亡き王女のためのパヴァーヌ

番組で流れていたラヴェル作曲「亡き王女のためのパヴァーヌ」。

哀しくも、美しい曲です。

ラヴェルは、「ボレロ」を作曲した音楽家でもあります。

指揮は小澤征爾さんです。この方も最近亡くなられたばかりです。

 

亡き王女のためのパヴァーヌラヴェル

指揮:小澤征爾 演奏:サイトウ・キネン・オーケストラ

www.youtube.com

 

 

以上、番組の紹介と感想でした。

途中で長いなと思いつつも、ほぼ省略なしとしました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

池田大作先生のご逝去

池田大作名誉会長逝去
2023.11.18

創価学会池田大作名誉会長は、2023年11月15日夜、新宿区の居宅で老衰のため、逝去いたしました。享年95歳。近親者のみで家族葬を行いました。お別れの会を別途、日時を改めて開催する予定です。

https://www.sokagakkai.jp/news/2528823.html

 

www3.nhk.or.jp

www.bbc.com

先生からは、誇りあるお名前をいただきました。

私は福子なので、父母から先生が師匠であると子供の頃から聞いてきた。

しかし、先生が為そうとしていることの意味を、おぼろげながらも理解するまでには相当な年月がかかった。

今思えば、若い頃は、感覚的に真偽や正邪を感じ取ってはいたものの、それを言葉にするための十分な知識も経験もなかった。

いわば、私は長い間、無神論者であったとすら言え、本当の意味で信仰心を持つようになったのは、ここ数年の、最近になってのことだ。

学会の中で生まれ、育ち、その世界を見てきたからといって、信仰心が打ち立てられるわけではない。大幹部になっても離れていった人がたくさんいるのは、妙法の哲学が、自身の中で確立されてないからと私は思っている。

法華経第四に信解品とあるが、信と解は互いに補うものであるが、自身の中で芽生える多くの疑問に対し、自身で回答を見いだしていかなければ、つまり求道心を起こし、自問自答していかなければ、それらを打ち立てることはできない、と私は思う。

言い訳になるかもしれないが、仏法に関する多くの著作や対談が出版されだしたのは、90年代の後半以降だった。私がそれらを手にして実際に読んだのはもっと後のこと。

先生が為された事績、偉業が人類史にどのような意義を持つのか、計り知れないが、

よくよく知っていかなければ、言葉にすることも、伝えることもできない。

先生のお言葉、ご指導は即仏法の教えであるので、簡単ではない。

自分自身が人間革命を起こしていく、というのがいかに困難なことか。

私には、あまりにも多い指導を目の当たりにすると、この妙法の信仰というものが、途方もないもののように感じられる。

学ぶべきことがあまりにも多く、途方もないが、数年前と比べると

少しは進歩することができたのではないか。

先生には、直接にお会いしたことはなく、本心を言うと、面を交えて、何かと、色々と聞けたらと思うことは何度もあった。

学会に属していても、わからないことはたくさんある。

また返ってくる言葉は、おそらく人による。

ともあれ仏法史上、不世出の指導者であり、恩師戸田先生の構想をすべて果たしてこられた。

多様性といえば聞こえはいいが、世界は確固たる哲学など持たず、いまだ混沌をきわめている。

このような世界にあって、妙法の哲学、人々や社会と関わる運動は、現実に歴史の流れを変える力を持つのか。

理念を行動に移すのは簡単ではない。

しかし理念のままでは、乖離は埋まらない。

高邁な理念を語る人は多いが、人を育て、社会と関わりながら建設、創造、変革していくことがいかに困難な事業か。

私はキャンバスを望むように、それらを俯瞰しながら、これからも先生の残された著作やご指導から学び、私なりの方法で伝えていけたらと思う。

また、ご存命のうちに果たすことができなかったが、妙法の画家として実証を示し、お応えしていけたらと思う。

池田先生のご冥福を、心よりお祈りいたします。

今まで、大変おつかれさまでした。

本当に、ありがとうございました。

イスラエル×ハマス紛争 パレスチナ問題

今年はツイッターが中心となり、ブログがなかなかできなかった。

 

10月7日にパレスチナの過激派ハマスイスラエルをミサイル攻撃し、1400人のイスラエル人がなくなった。パレスチナ問題は、宗教上の問題も絡み、歴史的に根深い。

見方によって全然異なる見解となる。

イスラエルを建国したユダヤ人はヨーロッパや世界各地で中世~近代以降の宗教改革、科学革命、国民国家の形成、産業革命などを経験し、金融業で巨大な富を得た人々が集まり、国家を短期間で建設した。アメリカが後ろ盾でもあり、優秀な人材が多いのだ。

それに対して、パレスチナ人は多くの人々が難民化し、現在数世代を経ている。アラブ系の人々。地域は分断され、ガザは分離壁に囲まれており天井のない監獄といわれる。インフラも十分に整備されておらず、飲み水には海水が混じるため、浄化装置が設置されているという。とにかく文明力の差が大きく、両者の暮らしぶりを比較すると歴然である。

二国家解決というが、本質的には、いかに人間が育つかどうかが未来を分けるといえるだろう。ハマスはアラブ某国の支援を受けて武力に訴えているが、これではいつまでたっても民は虐げられたままだろう。方向性が間違っている。10.7のような武力的な手段、人質をとることはすべきではない。どちらが正義ということはできない。これは両者の根源的な哲学、宗教的理念ともかかわる問題。世界や隣人をどう考えるのか。建設的か、破壊的か。国際社会はどう立ち振る舞うのか。誰を助け、味方していくのか。3つの宗教にゆかりがあり、キリスト生誕の地でありながら、最も解決困難といわれる地域。抑圧や構造的暴力、武器供与も諫められなければならない。平和の達成は、平和的な方法でなければならない。

 

(投稿日付を勃発日にしたが、実際には大晦日~年明けに記述)

jp.reuters.com

ロメロ・ブリット(ブラジルを代表するポップアーティスト)

ロメロ・ブリット氏(Romero Britto、1963年10月6日-)は、ブラジルを代表するポップアーティストです。詳しいプロフィールは末尾に掲載。

ポップアートというと、アンディ・ウォーホルが有名ですが、この方も相当有名な方です。原色を散りばめた独特のアートスタイルは、様々なキャラクターやモニュメントに応用されています。

 

 

『FIRST  SUPPER』 あの「最後の晩餐」のオマージュです。

ブラジルらしい陽気な色彩は、名画もポップに。

 

ちなみに、この絵では十二使徒(12人のキリストの弟子)のうち、裏切者のユダが描かれていることで知られていますが、仏教にも釈尊の弟子に提婆達多という悪人(いとこ)がいて、嫉妬から釈尊を傷つけたり、阿闍世王を唆(そそのか)して父を殺害させたりするのですが、そんな悪人でさえも一切衆生を救済する法華経に縁して、未来に天王如来という仏になるとされています。

 

 

リオデジャネイロ・オリンピック(2016)では、オフィシャルアーティストとなってます。

 

2014年のFIFAワールドカップでも。

 

 

ディズニーとコラボ。

「ディズニーブリッド」のグッズがたくさんあります。

 

 

カラフルな自由の女神像。

色彩感あふれるファッションセンスですね。

 

 

ジョン・F・ケネディ空港の中央にあるりんごインスタレーション(空間芸術)。

あとヨーロッパにも、彼のパブリックアートがあるんですよ。

 

 

ロメロ・ブリット(Romero Britto、1963 年 10 月 6 日生まれ )

ブラジルの芸術家、画家、シルクスクリーン作家、彫刻家。

ブラジルのレシフェで生まれ、貧困の中で育つ。

希望、夢、幸福の視覚的表現として鮮やかな色と大胆なパターンを使用して、キュビズムポップアート、落書き絵画の要素を作品に組み合わせている。

1983 年、美術を学ぶためにヨーロッパに旅行し、そこでアンリ・マティスパブロ・ピカソの作品に影響を受ける。

1988 年にマイアミに移り、現在のスタジオがそこにある。

彼の最初の大きな仕事は、1989 年のキャンペーン用にアブソルート ウォッカのアートワークをデザインすることでした。

彫刻や美術作品に加えて、彼のデザインはディズニー、BMWIBMアップルコンピュータでも使用されている。

グラン マルニエ、ペプシ、ロイヤル カリビアン クルーズなどのクルーズ船に採用され、バービー人形やペットの首輪など、さまざまな消費者向け商品にも採用されている。

2023年の彼に関するドキュメンタリーによれば、ブリットは「史上最も多くの作品を収集し、ライセンスを取得したアーティスト」であるという。

彼のパブリック アート インスタレーションの一部は、ロンドンのハイド パーク、ベルリンの O2 アリーナ、およびジョン F. ケネディ空港にある。マイアミのウォーターパークも設計している。

ブリット氏の慈善活動は 250 以上の団体を支援してきた。

法蓮抄(父子成仏抄) ~烏竜・遺竜(中国の能書家)

法蓮抄(父子成仏抄) 第十章 自我偈読誦の功徳を讃える

(通解)

彼の諷誦には「慈父が亡くなった日から十三回忌の日まで、釈迦如来の前で自ら自我偈一巻を読誦し奉って聖霊に回向してきました」等とある。

 今の日本国の人々は仏法を信じているようにみえるけれども、昔まだ仏法が渡ってきていなかった時は仏ということも法ということも知らなかったのであるが、物部守屋聖徳太子との合戦の後は信ずる人もおり、また信じない人もいた。

 中国も同様であった。笠の摩騰迦が中国に入って後、道士と論争があり、道士が負けたので初めて信ずる人も出てきたけれども、不信の人が多かった。

 ところで、烏竜という能書家は字を書くことが上手であったので、人々はこれを用いた。しかしながら、仏経だけはどのように頼んでも書かなかった。最後臨終の時、息子の遺竜を呼んで「おまえは我が家に生まれて芸を受け継いだ。私の孝養のためには仏経を書いてはならない。とくに法華経を書くことのないように。我が本師である老子は天尊である。天に二つの日はない。それなのに彼の経には『唯、我一人のみ』と説いている。けしからぬこと甚だしい。もし遺言をたがえて、書くようなことがあったならば、すぐに悪霊となって命を断つであろう」といって、舌が八つに裂けて頭が七分に割れ、眼耳鼻等の五根から血を吐いて死んでいった。しかしながら、その子は法の善悪をわきまえていなかったので、我が父が謗法のゆえに悪相を現じて阿鼻地獄に堕ちたとも知らず、遺言に従って仏経を書くことはしなかった。ましてや口に誦することはなかった。

 こうして時が過ぎるうちに、時の王を司馬氏といった。仏事があった時に経を書写することになり、中国一の能書家を尋ねられた結果、遺竜に決定した。

 召して命じられたところ再三にわたって辞退したので、やむをえず他の書家に一部の経を書かせられたが、帝王は気に入られなかった。なおも遺竜を召して「おまえが親の遺言だからといって私が命ずる経を書かないということは理由にならないことであるけれども、一応それは許そう。ただ題目だけは書くように」と再三、命じられた。遺竜はなおも辞退した。

 大王は気色ばんだ顔で「天地であっても王の支配するところである。そうであれば、おまえの親はすなわち私の家来ではないか。私事をもって公の事を軽んずることがあってはならない。題目だけは書きなさい。もし、そうしないならば仏事の場であっても、速やかにおまえの頭をはねるであろう」と言ったので、題目だけは書いた。いわゆる〝妙法蓮華経巻第一、……巻第八〟等と。

 その夕暮れ、自宅に帰って嘆いて「私は親の遺言に背き、王の命令にしかたなく仏経を書いて不孝の者となってしまった。天の神も地の神もきっと怒り、不孝の者と思っていることであろう」と言って寝た。

 夜、夢のなかに大光明が出現した。朝日が照らしているのかと思っていると、天人が一人、庭の上に立たれ、また無数の眷属が連なっていた。この天人の頭上の虚空に六十四の仏がおられた。遺竜が合掌して「いかなる天人でいらっしゃいますか」と問うと、答えて、

 「私はおまえの父の烏竜である。仏法を誹謗したために舌は八つに裂け、五根から血を出し、頭は七つに割れて無間地獄に堕ちてしまった。彼の臨終のときの大苦でさえ耐えられるとも思われなかったのに、無間地獄の苦しみは更にその百千億倍である。人間の世界で鈍刀でもって爪をはがされ、鋸でもって頸を切られ、炭火の上を歩かせられ、いばらの中に閉じ込められたりした人の苦しみも、この苦に比べれば物の数ではない。どうにかして我が子に告げ知らせようと思ったけれども、かなわなかった。臨終の時おまえを戒めて、仏経を書くことのないようにと遺言したことの悔しさはいいようのないほどであった。後悔先に立たず、我が身を恨み、舌を責めたけれども、なんの甲斐もなかった。ところが、昨日の朝から法華経の始めの〝妙〟の一字が無間地獄の鼎の上に飛んで来て、変じて金色の釈迦仏となった。この仏は三十二相を具え、顔つきは満月のようであった。大音声を出して『たとえ法界のすべてにわたって善根を断ち切ってしまった諸々の衆生も、ひとたび法華経を聞くならば必ず悟りを成ずるであろう」と説いた。この文字のなかから大雨が降ってきて無間地獄の炎を消し、閻魔王は冠を傾けて敬い、獄卒は杖を投げ捨てて立っており、すべての罪人は何事かとあわてていた。また〝法〟の一字が来て、前と同様であった。また〝蓮〟、また〝華〟、また〝経〟と、このようにして六十四字が飛び来って六十四の仏となった。無間地獄に仏が六十四体おられるので、六十四の日月が天空に出現したようであった。天から甘露を降らして罪人に与えた。『いったい、これらの大善事はどういうことなのでしょう』と罪人らが仏にお尋ねしたところ、六十四の仏が答えていうには『我らの金色の身は栴檀や宝山から出現したものではない。この身は、無間地獄にいる烏竜の子の遺竜が書いた法華経八巻の題目の六十四の文字である。彼の遺竜の手は烏竜が生んだところの体の一分である。遺竜が書いた文字は烏竜が書いたことになるのである』と説いた。それを聞いて無間地獄の罪人らは『我らも娑婆にいたときは子もあり、妻もあり、眷属もいた。どうして弔おうとしないのであろう。また弔っても善根の力用が弱くて来られないのであろうかと嘆いたけれども、効果はなかった。あるいは一日二日、一年二年、半劫一劫と経って、このような善知識に会えて助けられた』といって喜び、ともに眷属となって忉利天に昇ることになり、まずおまえを拝してと思って来たのである」

 と語ったので、夢のなかでうれしさが身にあふれた。別れて後、またいつの世にか会おうと思っていた親の姿をも見、仏をも拝することができたのである。

 六十四の仏が語っていうには「我らには特別の主はいない。あなたは我らの檀那である。今日からはあなたを親と思って守護しよう。あなたは怠ってはならない。一生の後は必ず来て兜率の内院へ導こう」と約束されたので、遺竜はとりわけ畏まって〝今日以後は外典の文字を書くまい〟と誓った。

 彼の世親菩薩が〝小乗経を二度と読誦しない〟と誓い、日蓮が〝弥陀念仏を称えまい〟と誓願したようなものである。

 さて、夢が覚めてから、このことを王に申し上げたところ、大王は「この仏事はすでに成就した。このことを願文に書き留めよ」と仰せられたので、そのとおりに行われたのである。かくして、中国、日本は法華経を信ずるようになったのである。この物語は中国の法華伝記にある。

 これは書写の功徳である。五種法師のなかでは書写は最も低い功徳である。ましてや、読誦というのは量り知れない功徳があるのである。

 

(語句)

烏竜

 中国・并州山西省)の人。姓は李氏。烏竜と遺竜の話の原典は僧祥撰の法華伝記巻八・書写救苦第十の二・李遺竜六である。御書のなかでは「法蓮抄」に詳しく、また「光日上人御返事」にも引用される。烏竜は父親。

 

遺竜

 中国・并州山西省)の人。姓は李氏。烏竜と遺竜の話の原典は僧祥撰の法華伝記巻八・書写救苦第十の二・李遺竜六である。御書のなかでは「法蓮抄」に詳しく、また「光日上人御返事」にも引用される。遺竜は息子。

 

老子

 生没年不明。中国周代の思想家。道徳経を著す。史記によると、楚の苦県の人。姓は李、名は耳、字は伯陽。周の守藏の吏。周末の混乱を避けて隠棲しようとして、関所を通る時、関の令、尹喜が道を求めたので、道徳経五千余言を説いたと言う。老子の思想の中心は道の観念であり、道には、一・玄・虚無の義があり、それが万物を生みだす根元の一者として、あらゆる現象界を律しており、人が道の原理に法って事を行えば現実的成功を収めることができるとする。

 

唯我一人 / 唯我一人・能為救護

 譬喩品に「今此の三界は、皆是れ我が有なり、其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり、而も今此の処は、諸の患難多し、唯我一人のみ、能く救護を為す」とある。日蓮大聖人が末法の救世主として、一切衆生を救おうと思われる大慈悲である。

 

閻魔王

 閻魔は梵語ヤマ(Yama)の音写。炎魔・琰魔・閻魔羅とも書く。死者が迷い行く冥界の主である。一説によると、死者は五週間に閻魔法王のところに行く。王は猛悪忿怒の形相で、浄頬梨鏡に映った死者の生前の業を裁くという。冠をかぶっている。

 

獄卒

 地獄にいる鬼の獄吏のこと。閻魔王の配下にあるので閻魔卒ともいう。地獄に堕ちた罪人を呵責する獄吏のこと。倶舎論巻十一に「心に常に忿毒を懐き、好んで諸の悪業を集め、他の苦を見て欣悦するものは、死して?魔の卒と作る」と、獄卒となる因が明かされている。また大智度論巻十六には「獄卒・羅刹は大鉄椎を以って諸の罪人を椎つこと、鍛師の鉄を打つが如く、頭より皮を?ぎ、乃ち其の足に至る」と獄卒の姿、行為が示されている。

 

 

(まとめ)

父、烏竜は能書家※である。

 

※能書家とは、歴史上の書人で今も書名の高い人物、また現代の書家に対しても、多くの書家からその能書たることを認められている人物をいう。 いわゆる書の名人、書道界の大御所である。

 

また、中国三大宗教の一つといわれる「道家」を信じていた。仏教を嫌い、特に法華経を嫌っているが、理由は法華経譬喩品に「唯、我一人・能為救護」(ただ、我一人よく救護す)との文言があることが気に入らないのである。それで書業を受け継いだ息子にも法華経だけは書くなといい遺言としたが、この父はやがて悲惨な死を遂げ、地獄で耐えがたいほどの苦痛を味わっていた。ある時、息子遺竜が主君の命令でやむを得ず法華経の題目を書いたところ、夢にたくさんの仏が現れた。父も現れ、息子が書いた法華経の文字によって地獄で救われたと明かす。

 

「この文字のなかから大雨が降ってきて無間地獄の炎を消し、閻魔王は冠を傾けて敬い、獄卒は杖を投げ捨てて立っており、すべての罪人は何事かとあわてていた。」

まるで水戸黄門が印籠を示し、悪代官がひれ伏すのを思わせるのですが、妙法の力用によって、亡くなった家族を救うのみならず、悪を従えていく様子がえがかれています。

すなわち自身と故人の罪障消滅であり、善と悪の力関係がたちまち逆転しています。

 

これと似た説話に「盂蘭盆経」があります。目連尊者が師・釈尊から伝授した秘法により餓鬼道に堕ちた母を救済する説話があり、日本では「お盆」や「盆踊り」などの行事の由来となっています。

 

この説話(中国の能書家、烏竜・遺竜父子の事跡)は、法蓮抄のほか、上野尼御前御返事(烏竜遺竜事)「おりょういりょうのこと」にも紹介されています。烏竜・遺竜は"おりょう"、"いりょう"と読みます。父、烏竜の名は、ウーロン茶(烏龍)と同じ字なので覚えやすいですね。何か関連があるのでしょうか。

 

(あとがき)

以前、「良医病子」のブログで父が入院したことを書きましたが、このたび無事退院にいたりました。検査の結果、主治医の先生からは、初期の認知症ではあるが、現在のところアルツハイマーまでは至っておらず、投薬も必要ないとのことでした。

また今回、主治医の先生に法華経譬喩品「能為救護」や「闇なれども灯入りぬれば明かなり・・・」などの御書を引いて独自にまとめ、お渡ししていたところでしたので、今日たまたま本抄の「能為救護」の文に縁し、不思議な一致を感じたのであります。

ハワイ 山火事 太平洋戦争 新・人間革命 日本国憲法

 

8日からハワイのマウイ島で山火事が発生し、10日たった現在、死者数114人、行方不明者1300人以上。電線が切れて草木に引火し、さらに強風で延焼した模様です。沿岸部に押し寄せた多くの車が、焼け焦げた姿を無残に残しています。海に飛び込んだ人も多いとのことです。

 

犠牲となられた方々やご家族へ、心よりお悔やみ申し上げます。

 

最近では、カナダでも大規模な山火事が起きており、地球温暖化が原因の一つとされていますが、近年、地球上のあちこちで多発しており、いったん森林などで燃え広がった炎はなかなか食い止めることが難しいようです。(日本でも、5日のいたばし花火大会でも枯草が延焼する事故があったようです。)

 

21日にバイデン大統領が被災地を訪問されるようですが、ハワイは、前回記事にしたオバマ大統領の生まれ故郷(ハワイ島のホノルル)でもあります。

 

毎年8月は、日本では戦争と平和を考える季節となっており、前回は「プラハ演説」全文を掲載し、核廃絶への決意を新たにしました。またSGIが取り組んできた核なき世界へ向けた平和運動の歴史をまとめたものを職場の方に渡したりもしました。

 

核兵器は絶対悪であり、全人類的な英知と努力で廃絶させなければならないものです。

 

しかし戦争の発端となったのは、そもそも1941年に、日本が当時アメリカの軍事拠点であったハワイ・オアフ島真珠湾を攻撃したからで、それにより太平洋戦争の火ぶたが切られたのです。


まともに戦って勝てる相手ではないことから、奇襲攻撃に活路を見いだしたわけですが、日本は勝機を得るどころかアメリカの逆鱗に触れ、圧倒的な軍事力や通信技術、情報戦で敗れ、最終的に原子爆弾を投下されるにいたり、全面降伏のうえ、敗戦を余儀なくされたのです。

 

たとえば、殴った相手が銃を持ってて反撃されたという場合、どこまでその仕返しの強さを非難できるでしょうか。これは均衡性(相当性とも)の問題。19世紀以来の国際法上の自衛権の概念でもあります。

  
一方で当時の日本は、戦争中、「天皇陛下のために死んで来い」と教えられ、結果的に多くの国民(臣民)の命が犠牲になりました。兵役を拒否することはできず、帝国憲法下に自由や人権はなかったといえます。創価学会の牧口初代会長と戸田二代会長も治安維持法不敬罪で逮捕投獄され、牧口先生は1944年11月18日に獄中で逝去されました。奇しくも、戸田先生とともに学会を創立した11・18の日に。



その意味で、戦後制定の現在の日本国憲法は、普遍的価値観を有するものであり、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重を基本原理とする、自由と人権が保障された内容となりました。これを「日本人によって作られたものではない」からと問題視する人もいますが、大事なのは内容であり「すぐれた憲法」であるという認識が広く共有されるべきであろうと思います。

 

このような経緯から、戸田先生は、厚木基地に降り立ったマッカーサーGHQ総司令官)を梵天君と呼びました。梵天・帝釈はインドの神様の名前ですが、仏教においては諸天善神と位置付けられます。



生命変革の仏法は、インドを発祥地とし東洋に伝えられた宗教であるのに対し、(17世紀にキリスト教啓蒙思想から発展した)自由と人権の普遍的価値観は西洋由来のものです。それが、現日本国憲法として結実したのです。

 

立正安国論にいわく、

天下泰平国土安穏は君臣の楽う所土民の思う所なり、夫れ国は法に依つて昌え法は人に因つて貴し国亡び人滅せば仏を誰か崇む可き法を誰か信ず可きや、先ず国家を祈りて須く仏法を立つべし

また、「新・人間革命」の冒頭には、
 平和ほど、尊きものはない。
 平和ほど、幸福なものはない。
 平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない。

とあります。

 

このように、まずは社会の枠組みとして自由や人権が確立され、その上ですぐれた信仰が広まりうる、のかもしれません。公正な社会的基盤の上に、自由な討論が交わされ、すぐれた普遍的価値観も、普遍的な法も、人間性を豊穣にする精神文化も広められるのでしょう。


鎌倉時代も、戦前も人権思想は希薄で、日蓮大聖人は草庵焼き討ちに遭い、島流しとなりました。牧口・戸田会長も国家神道を批判したり、神札を拒絶したことで逮捕、投獄されました。戦前は、自由な言論も、自由な信仰も許されない時代であったのです。


平和も戦争も、人の心から生じるものです。これはユネスコ憲章(前文)に書かれています。では、どのようにして人の心に平和の砦が築かれるのか。究極的な問題です。自由と公正を基盤に、思想、道徳、信仰を強制するのでもなく、対話や人々の内発性を尊びながら、いかにして多様な意見が正しく導かれゆくのか。これは難問ですが、その羅針盤となるものこそ妙法にほかならないと考えます。しかしその妙法を弘めることも、難事中の難事といわれます。

 

とはいえ現在は、まだ十分な確信や説得力を持っているわけではないので、学びや経験を深めながら「伝える力」を持っていけたらと思います。

 

今あらためて「新・人間革命 第1巻」を読んでます。太平洋戦争がハワイから始まったことから、主人公・山本伸一の世界広布第一歩は、ハワイから始まります。また、旅立った1960年10月2日は、立正安国論上奏から700年の節目であり、不思議な時の符合であることが記されています。

 

少しずつ読み進めながら、感銘を受けた個所をWORDに貼り付けています。