1260 7.16 立正安国論の提出日

260年(文応元年) 7月16日は立正安国論を提出した日です。立正安国論は、国家の中心者が法華経を信受することで一国の安泰をはかり、ひいては世界平和へと導かれるものであり、世界各国の指導者に知っていただきたい究極の平和原理の書ということができます。

「立正安国論」 ”国宝”です。 市川市・法華経寺所蔵。

”国宝” 「立正安国論
法華経寺(千葉県市川市)所蔵。

千葉県市川市若宮、法華経寺。 「立正安国論」「観心本尊抄」が重要文化財として所蔵されています。 富木常忍は門下となった後に法華堂を建て、日蓮の執筆活動を助けました。 のちに太田乗明の本妙寺と合併して「法華経寺」となっています。

千葉県市川市法華経寺。 「立正安国論」「観心本尊抄」が重要文化財として所蔵されています。 富木常忍日蓮門下となったあと法華堂を建て、日蓮の執筆活動を助けました。 のちに太田乗明の本妙寺と合併して現在の法華経寺となっています。


日蓮大聖人は駿河国静岡県)岩本実相寺において一切経を閲読され、立正安国論を書き上げたのち、当時の鎌倉幕府の実質的な最高権力者である北条時頼に提出しました。御歳39才。

静岡県富士市岩本「実相寺」。 円珍が唐より招来した一切経を格護する。

静岡県富士市岩本「実相寺」。 円珍が唐から持ち帰った一切経を所蔵する。

 

岩本実相寺の日蓮像。この寺で一切経を閲読し「立正安国論」を執筆しました。

岩本実相寺の日蓮像。この寺で一切経を閲読し「立正安国論」を執筆しました。


この実相寺では、のちの日興上人と劇的な出会いをされます。


安国論の「国」の字は、現代では国構えに「王」と書きますが、立正安国論では「民」の字が用いられてもいることから、より広い意味では「民衆」を指す言葉であるともとれます。まだ「国民主権」や「民主主義」の概念がなかった時代において先見の明であったといえます。

また本論では念仏批判が強調されていますが、現代においては意味合いが変化しており、私は時代性であると考えます。あくまで本論の趣意は、「人」、「国」、「法華経」の三者の関係性にあるのです。