1957 7.17 池田室長の出獄~師子吼、雷鳴

大阪事件
1957年4月 参議院補欠選で、戸別訪問と煙草による買収容疑で池田室長が逮捕されます。
当時まだ公職選挙法有権者によく知られていなかった時代で、一部の学会員が選挙違反を行い、それを池田室長が指示したとして15日間勾留しました。
室長は、取り調べの検事から罪を認めなければ戸田城聖を逮捕すると脅され、やむを得ず
罪を認める供述をするのですが、後の裁判でこの時の供述調書の信憑性が争われます。

この時の取り調べの様子です。
拘置所の中で、検事が3人がかりで、池田に手錠をかけたまま、夜11時まで、食事も与えず取調べを行う」
「尋問では湯飲み茶碗が跳ね上がるほど机を叩き、怒鳴った」
池田大作の軌跡Ⅰ,P74)
いわれない濡れ衣であるのに、たまったものじゃありません。

運動員に指示したという確たる証拠もないのに、これほどの不当な尋問を行ったのは、
当時あまり知られていなかった創価学会という新興宗教団体が、大衆を基盤に政治進出
することを嫉み、糾弾しようという権力者の心理がはたらいていたからでしょう。

1962年1月 池田室長に無罪判決が下されます。
裁判では、弁護側とどうしても有罪にしたい検察官とのしどろもどろなやりとりが記録
されており、司法の闇を深く感じることができました。

たかだか煙草(ピース)くらいで買収とは大げさな、と私なんかは思います。
この会員さんは罰金刑になったようです。

また戸別訪問の禁止は1925年、大正時代に制定された法律で、買収や利益誘導が起きやすいというのが理由のようですが、これは民主主義の精神に照らしてどうなのでしょうか。
金品の受け渡し等の不正はよくないですが、本来、多様で自由であるべき投票動機から
人的なつながりや共感を法律が除外しているように思います。
政策、理念、人柄などメディアや演説からのみ判断すべきで、熱心な知り合いの運動家
の意見、あるいは感化は邪悪で犯罪の温床である、と決めつけているようなものです。
アメリカでは、とくに大統領選なんかで政治に熱心な活動家が積極的に戸別訪問して、自身が支持する陣営を拡大する運動を行っていますが、民主主義の世の中においてこのような気風は、もっとおおらかに受容されていいのではないかと思います。


法華経と権力
日蓮および牧口先生、戸田先生、池田先生はいずれも死身弘法により国家権力の弾圧に遭い、宗祖日蓮はかろうじて斬首を免れるも二度流罪され、創価の歴代会長も投獄されています。法華経によれば、このような難が生じるのは法華経の行者の証明だそうです。
犯罪者の汚名を着せられたからといって必ずしも不正義や悪とは限らない。
ネルーガンジーマンデラらも何度も投獄されてます。


池田室長は拘置所を出たこの日、伊丹空港で戸田先生を迎え、大阪の中之島公会堂
大阪大会で登壇し、
最後は信心しきったものが、また正しい仏法がかならず勝つ!と師子吼されます。
この瞬間に”雷鳴”が轟然ととどろいたのです。