メアリー・カサット

メアリー・スティーヴンソン・カサットMary Stevenson Cassatt) 1844年5月22日 - 1926年6月14日

アメリカの画家(印象派パステル画)。10歳までに裕福な家庭の両親に連れられヨーロッパを遍歴。プロの画家になろうと決意するが両親に反対され、また美術学校ではいっこうに進まない授業と男子学生の見下した態度に我慢できず、巨匠に学ぼうとパリに渡る。

 

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メアリー・カサット

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日光浴 (カサット)

 

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母と子の永遠性 (カサット)

パリで印象派の画家であるカミーユピサロに師事するが、ある時美術商のウインドウに飾られたエドガー・ドガパステル画に衝撃を受ける。

窓のところに飛んでいき鼻をぺちゃんこにして、彼の絵をできるだけ吸収しようとした。
それが私の人生を変えた。私はその時、芸術を見た。私が見たいと願っていた芸術を。

その後、ドガと対面を果たし、印象派の展覧会への出品を勧められ出品。ドガは性格破綻者だったので数年で距離を置くようになるが、女流画家のベルト・モリゾとはその後ずっと友人であり、印象派から離れてパステル画に熟達していく。印象派を離れたのは、母と姉妹を看病するためでもあった。看病の間、筆を握ることもなかったという。

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団扇を持つバラ色の服の女 (カサット)


日本の浮世絵にも影響を受けています。

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沐浴する女性 版画(ドライポイント、アクアチンク)1890年

浮世絵に影響を受け「日本芸術展」に出展


日本の版画展を一緒に見に行きませんか。絶対に、それを見逃してはいけませんよ。

それは私の夢にも現れ、そして、銅板の上の色彩のこと以外なにも考えられないくらいです。私はそのとき、芸術を自分が見たいと思うように見るようになったのです。



1904年、フランス政府からレジオンドヌール勲章を受勲。

フランスで有名になると、アメリカの若き画家達は彼女を鏡としてアドバイスを求めてきました。
また、アメリカのコレクターや画商に印象派の絵画をすすめ、購入のアドバイスをして、今日のシカゴ美術館やメトロポリタン美術館印象派絵画のコレクションの基礎を作るのに貢献しました。こうして、アメリカで印象派が人気になると印象派の画家たちの名前もあがり、経済的にも余裕ができてきました。

後年は、兄の死や糖尿病、リウマチ、神経痛、白内障の病のため筆を折り、絵を描かなくなります。

2005年現在、カサットの絵画に287万USドルの値段がつけられたそうです。どんな絵か今調べてます…。