日蓮大聖人御書 新版 序文および拝読の精神(身読について)

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日蓮大聖人御生誕800年竜の口法難での発迹顕本から750年の佳節を迎え、
1952年(昭和27年)4月28日に発刊された従来の御書を改め、
約70年ぶりに新たに補正された御書の新版が発刊されました。

文字が大きくなり、仮名遣いを現代語表記に改めるなど、読みやすく再編され、
未公開だったものや新しく発見された御文も32篇追加された、とのことです。
定価8,000円也。

比較1:サイズ(左が新版、右が従来版です)

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比べてみると、かなり大きくなっています。

比較2:文字(左は従来版、右が新版です)

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このように、だいぶ見やすくなってます。

またコンパクトサイズな分冊版もでており、全4冊。順次発刊となっており、
現在1巻が発売されています。

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こちらは全集とは編集が異なっており、1巻の内容は十大部が掲載されています。



御書は身口意の三業で拝す身読
以下、原田会長が池田先生より受けたご指導です。

講義は大変に厳しいものでした。講義を通して、一人一人を“学会の、そして
世界の大指導者に育てたい”との先生の強い思いが響いてくるのを感じました。
我々の御書の拝読がたどたどしい時には、「あまりにも安直な読み方です」と
烈火のごとく指摘されました。
そして、
「君たちは、物事を疑いの眼で見ている。学問研究は、それでいいかもしれない。
しかし、日蓮仏法はそうではいけない。まず御書の一行一行、一文字一文字を
“真実、真実、全くその通りでございます”との深い思いで、すなわち、信心で拝し、
信心で求め、信心で受けとめていこうとすることが大事だ」と教えてくださいました。
さらに、
「御書は身口意の三業で拝すのだ。大聖人の仰せの通りに生き抜こうと心に誓い、
口に出して人にも語り、わが身で具体的に実践し、身読していくことが大事だ」
と、
理念と実践とは一体であるべきという、行学錬磨の根本を打ち込んでくださった
のです。先生のご指導に接し、ただ講義を聴けばよいという、受け身の姿勢で
臨んでいた自身を猛省しました。以来、一回一回の講義には、真剣勝負で臨ませて
いただきました。

御書は、御本仏の魂であり、御文を心に誓い、人にも伝えて身読することが大事であると仰せです。


御書を直接、繙く
研鑽にあたっては、ぜひ、『直接、御書を繙く』ことを心掛けてほしい
少々苦労しても、王道を行くことだ。直接、御書と格闘する刻苦奮闘こそが、
信心の合格者への大道である」(『随筆 旭日の光』)


私の場合、御文はほぼネットで検索したりWORDに張り付けて編集したりして活用してるのですが、
本来は一文一文御書を繙きながら、線を引いたりして学んでいくべきことを池田先生は指導されています。

ただネットのなかった頃のご指導でもあり、学習環境にもよるかと個人的には思っています。
もちろん人前では御書を直接引いた方がいいですし、
(私も先輩のそういう姿を見てまいりました)、
あまり線が引かれてないのも
体裁がいいとはいえないですね。



前置きが長くなりましたが、以下池田先生による序文の要約・まとめとなります。


(発刊の辞および序文)
従来版は戸田先生による発刊の辞(昭和27年4月28日)でした。
以下の文が有名です。
創価学会は初代会長牧口常三郎先生 之を創設して以来、此の金言を遵奉して
純真強盛な信心に基き、行学の二道を励むと共に如説の折伏行に邁進して来たが、
剣豪の修行を思わせるが如きその厳格なる鍛錬は、学会の伝統・名誉ある特徴となっている」

「剣豪の修行を思わせるが如きその厳格なる鍛錬」との印象的な比喩がありました。

新版では、池田先生が序文を寄せておられます。
重要と思われますので、以下要点を記します。

御書根本とし、(以下要約)。
 ・三障四魔、三類の強敵に屈せず、賢者は喜んで前進すること
 ・桜梅桃李の多様性を尊重し、互いに仏の如く敬い、異体同心で万事を成ずること
 ・生命尊厳、民衆の幸福、地球社会の平和と共生へ限りなく価値創造すること

学会は永遠に御書根本
戸田先生が線を引かれ身読された「諸法実相抄」の結文
行学の二道をはげみ候うべし。行学たえなば仏法はあるべからず。我もいたし、
人をも教化候え。行学は信心よりおこるべく候。力あらば一文一句なりとも
かたらせ給うべし

また牧口先生は、獄中闘争で
「災難と云うても、大聖人様の九牛の一毛※です」とご家族に宛てています。
 ※「九牛の一毛」(大聖人が受けた難に比べたら)ほんのわずか、という意味

さらにトインビー博士の次の言葉を引用され、学会が為した日本における
精神的偉業の原動力は御書であったと述べられます。
創価学会が遂げた驚異的な戦後の復興は、経済分野における日本国民の
物質的成功に匹敵する精神的偉業であった」

※うろ覚えですが……トインビー博士と池田先生は、「二十一世紀への対話」において、
物質文明がいくら発達しても精神文明は必ずしも比例しておらず、
人類は以前から精神的にはそれほど成熟していないと述べられていたと思います。
しかしここでは日本の高度経済成長の陰に、学会の飛躍的発展があったことを指摘されています。
仏法の原理から優れた精神性とは、道徳や知性以上に弘教しゆく菩薩の精神を指すであろうと思われます。


仏法西還は創価の誉れ
創価の師弟が「仏法西還」「一閻浮提広宣流布」を遂行し、御書の翻訳が
世界10言語を超え、文明・国籍、人種・民族、文化・言語等の異なる
五大州に広がってきた事実こそ、日蓮仏法の普遍性と正当性を物語る実証であるとし、

戸田先生の発刊の辞
「この貴重なる大経典が全東洋へ、全世界へ、と流布していくことをひたすら
祈念して止まぬものである」との恩師の念願が果たされてきた。

常楽我浄の活路開く宝書
「御書を開けば、民衆を苦しめる一切の魔性を打ち破りゆく師子吼が轟いてくる」
「御書を拝せば、人類の生命が具えている宇宙台の可能性への自覚と信頼が
こみ上げてくる」
「一人の人間が、どれほど強く深く偉大になれるか。
生命と生命は、どれほど温かく美しく結び合えるか。
社会も国土も、どれほど賢く豊かに栄えさせていけるか」

「十界互具、一念三千、煩悩即菩提、変毒為薬、自他不二、依正不二」などの
甚深の法理に照らし、大聖人は究極の人の振る舞いと仏法勝負の現証の上から
激励されているとし、ゆえにどんなに生老病死の苦に直面しても、御書に触れれば、
胸中の肉団に元初の太陽が登り、「常楽我浄」の蘇生の活路を開きゆける。

万年の未来へ不二の旅
「一切衆生の平等」を謳い上げ、共生と調和、慈悲と寛容の哲学が説き明かされた
御書は、人類全体を結び合い高めながら、戦乱・疫病・貧困、また自然災害、
気候変動など地球的問題群に挑む「随縁真如の智」を引き出す無窮の宝庫
といっても過言ではない」とし、

御書とともに「立正安国」「立正安世界」へ、万年の外未来までも、師弟誓願
不二の旅を歓喜踊躍して進みゆくことを念願する、として結ばれます。

2021年5月3日
恩師の会長就任満七十年の日に 池田大作