北斎と広重は皆さんよく知ってるかと思いますが、吉田博、川瀬巴水はあまり知られてないのではないでしょうか。19世紀生まれの日本画家とは思えないほど、現代の感覚に近いきれいな絵です。東京富士美術館で開催されるそうです。
それぞれの代表作や私好みの絵をピックアップしてみました。
こちらで紹介する絵は、美術館で展示される作品ではありませんのでご了承くださいませ。
■葛飾北斎
代表作「冨嶽三十六景」 神奈川沖浪裏
北斎は、江戸時代後半の化政文化を代表する浮世絵師で生涯に3万点の絵を描き残しています。(凄い!)
代表作は「富嶽三十六景」や「北斎漫画」など。
ゴッホにも影響を与え、北斎を模写した絵があります。
弟子が200人くらいいたそうです。
アメリカの雑誌「ライフ」には、「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」
に唯一日本人としてランクインした人物です。(えー)
何度も改名してますが、「北斎」の由来は、北極星と北斗七星を神格化した日蓮宗系の
北辰妙見菩薩信仰だそうです。(へー、知りませんでした!)
※古代中国では、星が巡回する中心の北極星が宇宙(紫微垣、しびえん)の中心であり、
道教の最高神「玉皇大帝」は、この紫微宮に住むと考えられていました。(北極紫微大帝)
また北斗七星も「死」を司る星であり、死んだ人間の生前の行いを調べて、
地獄での行き先を決定する閻魔大王のような役目を持つと考えられていました。
この北極星と北斗七星が習合し、
さらに星を仏教における妙見菩薩に見立てた妙見信仰が生まれたのだそうです。
北斎は法華経を信仰していたらしく、以下のような日蓮の絵も描き残しています。
日蓮像「七面大明神応現図」
うーん、物々しい世界観が凄いですね。
引っ越しもよくしたそうで、93回とあります。今では考えられないですね。
ちなみに私も引っ越しする夢をたまに見るのですが、
たぶん引っ越し願望があるのでしょう。
90歳まで長生きし最後まで画力の向上に努めたようです。
最後の言葉は、
『天が私の命をあと5年保ってくれたら、私は本当の絵描きになることができるだろう』
と、生きているうちに一枚でも多くの絵を描きたいという意気込みが伝わります。
また「人物を書くには骨格を知らなければ真実とは成り得ない。」といい、
接骨家に弟子入りして解剖学を学び、人体の描写に心を砕いたそうです。
ミケランジェロやダヴィンチもそうでした。
死に際まで描き続けるこの情熱は私も見習いたいものです。
絵は何歳になっても描き続けられますから。趣味としてもお薦めですね。
「富士越龍図」
死の3ヶ月ほど前の作品で、絶筆(最後の作品)とされます。
富士山を越えていく龍の絵が描かれています。
晩年の巨匠のごとき熟練を感じさせます。
酒や煙草は嗜まなかったそうです。
私はビールとウイスキーをたまに飲みます。タバコは喉が痛くてやめました。
金銭には無頓着であり、精力的に仕事をしていたわりに赤貧だったそうです。
米屋が請求に来ると包のまま金銭を投げて渡したそうです。
全然関係ないですが、、
私が以前勤めていた会社の社長も、札束の入った給料を一人ひとり名前を呼び、
円盤投げして渡してました。(大体、机でバウンドして床に落ちます。笑)
歩合給の仕事だったので50~100万円くらいの厚さの人もいました。
投げられたら皆大声で「あざーす!」
あんな渡し方をされたのは後にも先にも二度とないでしょう。
北斎は行儀作法を好まず、大変そっけない返事や態度をとる人物だったそうです。
人に会っても一礼もしたことがなく、ただ「こんにちは」「いや」とだけ答え、
世間話もしなかったらしいです。
武士に呼び出されても何度も無視し、トラブルになってます。
画家って大体、偏屈な気性の人多いですね。ターナーとかゴッホとかピカソとか。
春画も描いてます。こちらは有名な「蛸と海女」
「蛸と海女」
うーん、なまじ人間よりも興奮しますね。もはや天才としかいいようがないです。
Googleで検索したらたくさんのパロディがつくられていますので、見て楽しんでみて下さい。
それでは今日はところはこの辺りまで、、
広重以下の続きはまた今度時間がある時に更新します。