藍より青し~法華経の師弟の精神

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藍の花(インディゴ)は青色の染料となる植物ですが、
その葉をしぼった染色液は、鮮明な青色ではありません。
ところが、何度も重ねて染めていけば色が段々深まって、
濃く鮮やかな青色になります。

翻って仏教においては、修行を重ねて信心をより堅固にし、
福徳を現していくことの譬えであり、
また師は弟子を自身以上に成長させようとする存在であり、
弟子もまた師を越えていこうと努力することをいいます。
この精神は数ある仏典の中で最第一とされる法華経に通じるものです。

しかし古い仏教観だと歴史上の人物である釈尊のみが仏です。
それ以外の人は仏にはなれず阿羅漢を目指します。
ですので仏教を論じる際、ともすればある仏教観や思想について、
それを「釈尊が言った、言わない」といった思考に陥る場合があります。

しかし法華経では「如我等無異」といって、
(「我が如く等しくして異なること無からしめん」と読みます)
法華経方便品第2において、
釈尊が長遠の過去に立てた誓願に、
仏である自身と等しい境地に衆生を導くこと、とあるのです。
同品では、一大事因縁とって仏がこの世に出生した目的は、
一切衆生の仏知見を開かしめるためである、と明確に述べています。
つまり、一切衆生には仏性が備わっており、仏が弟子である衆生らを
自身と同等の境涯にしようという誓願によって、師である仏もまた
自身を仏たらしめているといえるのです。

ちなみに釈尊が実際にどのような言葉を残したのかについては、
厳密な意味では断定することは不可能と言われています。
原始仏典も釈尊入滅後、第一結集から文字化、聖典化するまで
数百年の時を要しており、その間は記憶と口伝のみで伝えられていたので、
そこには少なからず記憶違いや、誤解、主観の介在があると考えられるからです。
実際に滅後、100年には戒律をめぐる解釈で分かれ、根本分裂が起き、
その後、多くの部派仏教に分派していっています。
中国では、孔子の「論語」等の四書もこれと同じような経緯をたどっており、
全て本人ではなく後代の弟子たちが編纂してまとめた思想です。

このようなことを考えますと、仏法とはそもそもいかなるものであるのか。
その本質、内容、そして現代に生きる我々にとっていかなる意味があるのか
という観点から仏や仏法のなんたるかを捉え直していく必要がでてきます。

ではこの話はまたの機会にして、
「従藍而青」や「藍より青し」の由来となっているのは中国の古代思想です。
従藍而青」とは天台大師の「摩訶止観」にある言葉で、
荀子の「青は藍より出でて藍より青し」という意味です。

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孟子(左)、荀子(中)、天台大師(右)

孟子荀子孔子の弟子にあたる儒家の思想家(諸子百家)ですが、
二人の思想は対極的でした。
孟子が「性善説」を説き、人が仁義礼智を生来的に備えているという
理想主義であるのに対し、
荀子は「性悪説」を説き、人は先天的には弱く利己的な存在であり、
後天的に教育しなければ、善い人間にはならないというリアリストです。

孟子の有名な譬えには「五十歩百歩」があります。
また王者は自らの徳によって仁政を行い民から慕われるのに対し、
覇者は武力による恐怖政治を行うと説明しました。

一方、荀子は「青は藍より出でて藍より青し」や
蓬(よもぎ)も麻中に生ずれば、扶(たす)けずして直し」 (麻中之蓬
という言葉が有名で、日蓮大聖人も「蘭室の友に交りて麻畝の性と成る」と
この故事に由来する言葉を残しています。

二人は対極的な思想の持ち主ではありましたが、師である孔子が説いた
世の乱れは統治者の資質つまり「」に原因があるという思想を継承発展し、
儒教の普及に貢献しました。
仏法からみれば、人間は善性も悪性も同時に備えており、機縁に依って
善くも悪くもなるものといえます。例えば、善縁となる人を善知識と呼び、
悪縁となる人を悪知識といいます。
また日蓮大聖人は、世の乱れは法華経ではなく誤った法を用いていることに
根本原因があるとして、時の権力者に立正安国論を提出しました。

云く、「よき師と・よき檀那と・よき法と此の三寄り合いて祈を成就し、
国土の大難をも払ふべき者なり
このように、よき師、よき教え・法に巡り合うことで人生が大きく変わり、
ひいては、一国の命運も変えていくことができると仰せになっています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。