ガンジーが祈る南無妙法蓮華経~法華経との出会い

インド独立の父、マハトマ・ガンジーは自身の信仰について、

「自分はヒンドゥー教徒であり、イスラム教徒でもあり、また、原始キリスト教という意味ではキリスト教に賛同する」

と言っていたそうですが、仏教における仏典の最高峰である「法華経」にも大いなる関心を寄せ、その後日蓮を知り、独立運動の同志たちと朝夕「南無妙法蓮華経」と唱えていたそうです。

thelotussutra.org ガンジーは、あらゆる風雪に耐えてなお、多くの民衆から支持されてきた「法華経」とはいかなる経典であるのか、その真意を知りたがっていたのですが、当時は法華経に関する資料をなかなか手にすることができませんでした。

そんな折に、世界的にも著名な仏教学者であり、言語学者でもあったラグヴィラ博士を通じて、日本人とヨーロッパ人の共同で編集され、1908年にソビエト以前の旧ロシアで出版された「サンスクリット法華経」とオックスフォード大学出版の「東方聖書」という書籍に載っていた「英訳 法華経」を手渡されたといいます。
そして法華経を読んだガンジーは、博士にたくさんの質問を投げかけてきました。


ラグヴィラ博士


ラグヴィラ博士は、日本人との出会いを通して法華経を学び、日蓮大聖人について書かれた日本の仏教学者の本を読んで、七文字の題目の歴史的背景や意義についてガンジーに説明しました。

博士は、法華経の眼目である「南無妙法蓮華経」の意味について「森羅万象を形成し、発展拡大しゆく根源の実体である」と説明しました。(「諸法実相」ともいいます。)
ガンジーは、南無妙法蓮華経が「人間に内在する宇宙大の力の究極の当体を表現しており、宇宙の至高の音律が奏でる生命そのものであること」を覚知したと博士は語っています。

以来、ガンジーは自らの道場(アシュラム)での祈りに「南無妙法蓮華経」の題目を取り入れるようになりました。ラグヴィラ博士は「ガンジーの師匠は、日蓮大聖人である」と息子であるロケッシュ・チャンドラ博士に語ったそうです。


アシュラム(道場)での祈り

ロケッシュ・チャンドラ博士はインドの著名な仏教学者であり仏教に関する著書は462以上を数えます。インド文化国際アカデミー理事長であり、インド国会議員を歴任された人物です。また創価学会・池田SGI会長とも対談し、共著に「東洋の哲学を語る」(第三文明社)があります。


池田SGI会長とロケッシュ・チャンドラ博士

ガンジーの冊子(祈りの言葉)
2014年に開催された「法華経――平和と共生のメッセージ」北海道展では、ガンジーの祈りの言葉を収めた「冊子」が初公開されました。そこにはインドのタミル文字とデーヴァナーガリー文字で「ナムミョウホウレンゲキョウ」の音が記されています。また祈りの意義について、以下の言葉が収められていたといいます。

「祈りとは、心の内面から自然発生的に湧き上がるものである」
「祈る者は、全身全霊で隷属を拒否する者である」

このように仏教発祥の地であるインドにおいて、インド独立の父と呼ばれたガンジー日蓮大聖人を通して法華経の真髄に迫り、日々同志たちと共々に南無妙法蓮華経とお題目を上げていたというのは特筆すべきことです。1930年代半ばといえば、初代牧口常三郎先生と戸田城聖先生が創価教育学会を創立したばかりの頃であり、丸眼鏡をかけ、痩身で頭脳明晰なガンジーが民衆を率いる姿は、どことなく戸田先生の姿を彷彿とさせるものがあります。



ガンジーは晩年、惜しくも凶弾に倒れますがイギリスの支配下にあったインドは、1947年、独立を勝ち取り、ガンジーの願いは成就していきます。

日蓮大聖人は「治病大小権実違目」という御書のなかで、富木常忍から受けた「疫病がなぜ収まらないのか?」との質問に対して、疫病を社会の病と捉えた上で、大乗と小乗、権教と実教を取り違えてはならないことを述べられ、さらに実教の法華経の中でも、観念観法である天台の「理の一念三千」は己心の煩悩と対峙するのみであり、現実変革の力はないと論じます。まして法華経を差し置いて小乗、権教を用いるのは猶更であり、時代・社会の歪みを治すのは、法華経以外になく、日蓮仏法の「事の一念三千」の題目こそ、万人に開かれた成仏の直道であり、国や環境をも変えていく力があることを述べられます。

インドにおいて仏教といえば、糞僧衣(オレンジ色の袈裟)を着て、托鉢行や厳しい禁欲。黙然と座禅・瞑想に耽るなど、己心の平安を求める修行がいわゆる伝統仏教のあり方ですが、ガンジーをはじめ、インドの著名な仏教学者らが日蓮仏法に関心を寄せていたのは、現実の宿命を変えゆく力強さを題目の声、祈りに感じていたからかもしれません。