学びの精神(ソクラテスとプラトン)

紀元前387年に哲学者プラトンは学園を開設。

算術、幾何学天文学、生物学、政治学が教えられ、
最後に理想的な統治者が受けるべき哲学が教えられた。
師・ソクラテスもこの学び舎に足繫く訪れ、青年たちと対話をしたという。
ソクラテスは自らをシビレエイに例え、ただ知識を伝授するだけでなく、
人格的啓発により努力、忍耐、勇気、愛情など人間の美徳を伝えたのでしょう。
教師が一方的に話をし、生徒がただ受動的に聞き、記憶する勉強とは違いますね。
しかし、このような師に巡り合えるのは極めて稀なことかもしれません。
プラトンが60歳になったとき、17歳のアリストテレスが入門しています。

 

プラトン書簡集」
プラトンがデュオニソス等当時の政治権力者たちに宛てた手紙の数々。全13篇。
 
プラトンは、少しばかり彼の話を聞いたり著書を読んだだけで知った風な顔をしている人々に対し、「これらの人たちは、……肝心の事柄を少しも理解している者ではありえない」として、次のように述べます。
そもそもそれ(肝心の事柄)は、ほかの学問のようには、言葉で語りえないものであって、むしろ(教える者と学ぶ者とが)生活を共にしながら、その問題の事柄を直接に取り上げて、数多く話し合いを重ねてゆくうちに、そこから、突如として、いわば飛び火によって点ぜられた燈火のように、(学ぶ者の)魂のうちに生じ、以後は、生じたそれ自身がそれ自体を養い育ててゆくという、そういう性質のものなのです
(第七書簡より)
 
プラトンは、師ソクラテスから「問答法」の精神を受け継ぎ、対話を通して学ぶことを重要視しました。『プロタゴラス』『ゴルギアス』など初期の著作も対話篇となっています。
 
 
日蓮大聖人も「立正安国論」や「十一通御書」など権力者宛てに手紙を出してます。
また立正安国論は、主人と旅客による対話形式となっています。
そして一代聖教の肝心は南無妙法蓮華経であると結論。
プラトン哲学と仏法とでは次元が異なりますが、聞き手の率直な疑問に応答しようとしている点や究極の真理、悟りは言葉では説明しがたいという点で相通じるものがあります。方便品には諸仏の智慧は「甚深無量」であり、声聞辟支仏にとっては「難解難入」とあります。声聞・辟支仏(独覚)は自己の悟りのための修行(小乗の教え)です。これに対して大乗では利他行を重視し、様々な人との関係を通じ、生きた対話により法を伝える存在です。