プライバシー権とは
伝統的な意味では、「一人で放っておいてもらう権利」right to be let alone、つまり、人がその私生活や私事をみだりに他人の目にさらされない権利をいう。たとえば、家庭の内情や個人の会話を公開されたり、私室をのぞきこまれたり、過去の経歴を小説などに利用されたりした場合に、この権利の侵害が問題となる。肖像権も、この権利の一つである。
プライバシーの権利は、とりわけ、マス・メディアによる暴露、公開から個人の平穏な私生活を守るために、19世紀末以来、アメリカで発達してきた考え方である。この権利が侵害されたとするには、単に、私的な生活領域への侵入によって精神的苦痛を受けたことを証明するだけで十分であり、金銭的損害を受ける必要はない。また、名誉毀損(きそん)の場合と異なって、個人の社会的評価や信用が低下させられることを必要としないし、表現されたことが真実であるという証明があっても責任を免れうるわけではない。個人の平穏な私生活を保護するプライバシーの権利と、国民の知る権利に奉仕する意義をもつ表現の自由との調整は困難な場合が多いが、双方の利益を慎重に比較衡量することによって決定される。マス・メディアの報道活動にみられるように、政治家や大事件の当事者、あるいは芸能人のような「公的存在」、つまり公衆の正当な関心の対象となる社会的地位にある存在にかかわる場合、あるいは公共の利害に関係する事柄であるときは、私事や私生活がある程度公表されても、プライバシー侵害にはならない。侵害に対する救済方法としては、損害賠償や謝罪広告があるほか、私事や私生活がいったん公開されたのちの事後的な救済ではプライバシーの十分な保護を図れないことも多いので、公表を事前に差し止める請求も可能であると考えられる。
『宴のあと』(三島由紀夫作)事件
- 第十三条
- すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
保護対策
コンピュータを用いた大量の情報処理技術が発達した今日の情報化社会においては、事務処理の効率化のために行政機関や民間企業が、個人の私生活に関するさまざまな記録を、コンピュータを利用したデータバンクに集積するようになってきている。こうした動向がプライバシーに与える危険性を個人の側から有効にチェックするために、自分に関する収録データについての閲覧請求権、訂正請求権、不服申立権や、特定データの収集や入力の制限、さらに収録データの流用禁止などを制度化することが必要となる。欧米諸国では1970年代に、こうした趣旨を盛り込んだプライバシー保護法が制定されたが、日本でも、自治体における個人情報保護条例の積み重ねを経て、88年(昭和63)に、「行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律」が制定された。その後も、社会の情報化の進展とともに、プライバシーをめぐる問題が増加してきた。とくに、個人情報のデータベース化やその漏洩(ろうえい)が問題になり、民間部門を含む包括的個人情報保護法の必要性が議論され始めた。1999年(平成11)には、「国民総背番号制」につながると批判された住民基本台帳法の改正、また、組織犯罪対策立法の一環として通信傍受法の制定が行われ、情報化による利便とプライバシー保護との調整が大きな問題となった。