15世紀 大航海時代(エンリケ王子)

15世紀以降、ポルトガルのインド航路発見(東回り)およびスペインの新大陸到達(西回り)に続き、オランダ、イギリス、フランスが世界の海を越えて行きます。大航海時代の幕開けです。
各国が競って香辛料を求め、利益拡大を図っていくのですが、
同時代に起きていた現象に、
ルネサンスによる新たな知識・技術の獲得
宗教改革によって窮地に立たされたカトリック教会の布教願望
がありました。
その後、ヨーロッパ勢力によるアフリカ、アジア、南米地域への支配と植民地領有が始まり、中世から近代にかけて世界が大きく変動していきます。
 
 
ポルトガル王・ジョアン1世の子として、ポルトガルの第二の都市ポルトに生誕。
大航海時代の先駆的指導者。生涯において探検事業家であり、パトロンとして航海者たちを並ならぬ情熱で援助・指導し、それまで未知の領域だったアフリカ西岸を踏破させました。



セウタ攻略

アフリカ西岸踏破の端緒となったのは、アフリカ北部の、イスラム勢力が支配する都市セウタの奪還でした。

レコンキスタ
711年キリスト教勢力としてイベリア半島を統一していた西ゴート王国ウマイヤ朝イスラム遠征軍に滅ぼされて以来、イベリア半島およびアフリカ北部一帯はイスラム支配下にありました。
その後718年から1492年の「グラナダ陥落」まで、約800年間、複数のキリスト教国家によるイベリア半島再征服運動(レコンキスタが始まります。
イスラム勢力の支配下にあって、大部分のポルトガル人はイスラム教に改宗し、ラテン語の他にアラビア語もさかんに使われるようになります。また造船技術羅針盤イスラムの建築様式など、ポルトガルの科学と文化の発展には、イスラム世界から伝わった技術や文化が大きく寄与しています。

グラナダ陥落 1492年(レコンキスタの終焉)
 
イベリア半島最後のイスラム王朝ナスル朝の時代の建築。
宮殿と呼ばれているが城塞の性質も備えており、その中に住宅、官庁、軍隊、厩舎、モスク、学校、浴場、墓地、庭園といった様々な施設を備えていた。

 

エンリケ王子、アフリカ西岸航路開拓への情熱をともす
エンリケ王子は、イスラムの地・セウタでプレスタージョンの伝説を聞き、それまでのようにサハラ砂漠を越えてイスラム商人のキャラバンを通じて行われる貿易を通じてではなく、独自に金と香辛料を求める海路として、アフリカ西岸航路の開拓ひいてはインド航路開拓しようという野望を抱くようになります。

プレスタージョン伝説とは

アジアあるいはアフリカに存在すると考えられていた伝説上のキリスト教王国。
イスラム教徒に勝利を収めたと伝えられていた。
12世紀頃にプレスタージョンの書簡の写しがヨーロッパ中に噂となって広がり、イスラム教徒との戦争が膠着する中、プレスタージョンに対する期待は、ヨーロッパ諸国や十字軍の間に広がっていました。


恐怖のボジャドール岬
エンリケが派遣した海洋探検隊はアフリカ西岸にある諸島を次々発見していきます。
など。
しかし、当時知られていたアフリカ沿岸の最南端の地は、カナリア諸島から南に200キロにあるボジャドール岬であり、その先は世界の果てであり、海は沸騰しており、生きて帰ることのできない前人未到の地として航海士たちに恐れられていました。当時はまだ地球が丸いことさえ知られておらず、1522年にマゼランが世界航行を果たすまで地球は平面であると多くの人々に信じられていたのです。


しかもまだ誰も通ったことのない航路であり、逆風を南進する船の構造や航海技術、潮の流れを読み切れず、踏破するのに何年も費やし、北アフリカ海岸やスペイン南部のグラナダ王国で海賊行為に走るありさまでした。
ようやくボジャドール岬に到達したのは1434年で、セウタ攻略から19年後のことです。


この頃には、航海経験も増え、船体や海図の改良が重ねられていきました。やがてキャラベル船という快速船が造られるようになり、ブランコ岬、ヴェルデ岬など新天地を相次いで踏破していきました。



キャラベル船
3本のマストを持つ小型の帆船で、速力と」機動性にすぐれ、逆風でも航行できる。


エンリケ王子が没した時には、シエラレオネまで到達していました。
その後もポルトガル船は、アフリカ西岸を南進し続け、1487年にリズボアを出航したバルトメロウ・ディアスの船は翌年ついに、アフリカの最南端「喜望峰に到達します。これがジョアン1世に報告され、インド洋への航路が開かれてアジアへの進出が始まります。



発見のモニュメントポルトガルリスボン
大航海時代の航海士たちを模った記念碑
キャラベル船の船首の曲線に似せてある


先頭に立つのがエンリケ王子




恐怖の岬を越えよ」との池田SGI会長の有名なご指導があります。
(第二十回本部幹部会 1989年8月)

生死の大海を渡らんことは、妙法蓮華経の船にあらずんば、かなうべからず
(椎地四郎殿御書)
 
畏れ無きこと師子王の如くなるべし
(経王殿御返事)
 
ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず
四条金吾殿御返事)

ありがとうございました。