「南無妙法蓮華経」は釈尊から授かりし一切衆生成仏の「法」

最近、ある哲学者の方の仏教本を読んでいたら、南無妙法蓮華経というのはおかしいと書いてあり愕然としましたので、一言、反論しておきたいと思います。故人の方なので本人には伝わらないでしょうが。

 

梅原猛氏という著名な方で、書かれた著書では仏教の授業をされているのですが、私はブックオフでたまたま見かけてパラパラとめくったら、法華経のことにも触れられていたのでとりあえず買ったわけです。それで法華経に関してどのような見識をお持ちだろうと家に帰って読んでみましたところ、「法華経の題目」について、この方は本当に仏教を知っている方かと疑わしくなるほどの、まるで仏教的知見のない素人が感想を述べただけのような書きぶりであったわけです。

 

それが些末な部分なら大して気にもしませんが、「法華経の題目」は信仰の根幹であり、日蓮大聖人の魂ともいうべきものです。しかも同氏は著名な人物であり「仏教の授業」と銘打ったタイトルの本でもあるため、到底看過することはできません。

 

日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ」

 

大聖人門下として、また朝夕題目を唱える行者として、著名な人物ではありますが、以下、梅原氏の浅識を指摘いたします。同氏については、創価学会関連の著書でも何度となく言及され、よく知られた人物でありますが、以下に引用する点に限っては、きわめて表層的・素人的見識であり、日蓮大聖人のご真意や、法華経の虚空会の付属なども全くご存じないのであろうと思われました。

 

梅原猛の授業 仏教』P200、南無の意味と念仏の説明につづき、

「ところが、日蓮はそれに対して『南無妙法蓮華経』ととなえよという。妙法蓮華経というのは法華経の題目といいますか、法華経という書物の名前です。だから、おかしいんですね。普通だったら『心から○○さまに帰依します』という。ここに仏の名前がこなくちゃいけないのですが、日蓮は経典の名前をもってきた。書物の名前が仏さまになっちゃった。『心から法華経さまに帰依します』というわけです。・・・・・・私は哲学をやりましたが、ドイツの哲学者カントの『純粋理性批判』を読まないと哲学者じゃないと言われた。そうしたら『南無純粋理性批判』ということになります。この間まで、日本ではマルクスの『資本論』が聖典のように考えられたんですが、『南無資本論』という信仰が流行したといえます。それと同じで『南無妙法蓮華経』というのは大変おかしなものですが・・・」

 

梅原氏は、「妙法蓮華経というのは法華経の題目といいますか、法華経という書物の名前です。だから、おかしいんですね。普通だったら『心から○○さまに帰依します』という。ここに仏の名前がこなくちゃいけないのですが」といっているが、まず妙法蓮華経というのは経典ですが、同時に釈尊が説いた成仏のための「教え」であり、「法」であって、たんなる思想書のような本ではないのです。

例えば、方便品をざっと見るだけで以下のような文言がみられます。

 

第一の稀有なる難解の法

甚深微妙(みみょう)の法

甚深微妙にして解り難き法

不可思議の法

わが法は妙にして思い難し

かくの如き妙法

一乗の法

最妙第一の法

 

本来、仏法において帰依すべき対象は、「仏」ではなく「法」でなければならないのです。しかも法華経のさとりは、それ以前のさとりとは程遠いほど深遠であり、声聞辟支仏の理解の及ぶところではない、と方便品でその智慧の深さが強調されています。したがって、本来、書物などで説明し、「はい、わかりました」といえるような性質のものでは到底ないわけです。言語を絶する法なのです。

 

しかし一般的にも、仏教とは仏菩薩をありがたく崇拝するというイメージを持つ人は多いと思います。これは、諸宗の寺で本尊として奉られているのが仏や菩薩像であることから、「本尊とは仏や菩薩であるのが通常」と考える人が多いせいでしょう。しかしこれらの仏像は、釈尊滅後にブッダが神格化される中で図像化されるようになっていったのです。そのため数多くの宗派や各々が掲げる本尊が乱立し、本当に正しい仏教は一体何なのか、どれであるのか不明瞭なまま現在に至っているのです。

 

法華経では、仏が常住でありながら入滅したとみせる(方便現涅槃)のは、如来(仏)がいつも姿を現していて、衆生がいつでも如来に会えると思うようになれば、だれも(解脱しようという)菩提心を起こさなくなるからと説明されています。そして仏滅後(方便として涅槃を現じたあと)は、衆生は自身の遺骨や仏塔を崇拝し供養するであろうといいます。しかし、ここで述べられている真意は、決して遺骨や仏像に、帰依すべき仏が宿っているわけではないということです。それは偶像崇拝に他なりません。

 

余がそこに立っているにかかわらず、余を見ることはない。彼らは世の肉身が完全に滅したと考え、遺骨にさまざまの供養をする。」(法華経如来寿量品、梵文訳)

 

釈尊は涅槃経において「自灯明法灯明」(自らを拠り所(灯明)とし、法を拠り所(灯明)とせよ)といって、「法」に帰依すべきことを勧めています。また同経では「依法不依人」(法に依って、人に依らざれ)ともいっています。偉い「仏さま」に帰依するのではなく、自らの中にある「法」を拠り所とせよ、といっているのです。

 

仏とは自身とは異なる人格や存在をさすのではありません。たとえば、仏法に入信(入門)する際、「釈尊に帰依する」、「日蓮に帰依する」と表現されることがありますが、それは釈尊日蓮を師として弟子入りするという意味であって、信仰の対象ではないのです。釈尊日蓮などの師にしたがって、仏法に縁し、自らの仏の境涯を開いていけることは非常に重要な要素です。しかし、これらの師は善知識であり、指導者であって本尊ではないのです。これは経典の記述にも誤解を生じさせている要因があると思われますが、例えば、法華経には、釈尊が仏となるに至るまでに無数の仏に親近し、供養したという表現がみられますが、おそらく歴史的過程において、供養と本尊への帰依という概念が、いつの間にか混同されるようになったせいかもしれません。

供養とは、師や阿闍梨(指導者)を尊敬したり、供物を捧げることも含まれますが、本尊とは「根本尊敬」という意味であり、根本というのは、一つの究極の法を指すから根本のです。根本がいくつもあるのはおかしいわけです。それはつまり、その究極の法によって、多くの仏菩薩も成仏しえたというものです。それが「南無妙法蓮華経」という法です。法ですが、「南無妙法蓮華経如来」という表現ももちいられます。寿量品では「久遠実成の釈尊」として語られます。これらの関係は、「法報応の三身」や「境智冥合」として論じられますので、ご参照ください。

 

「若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず麤法なり、麤法は今経にあらず今経にあらざれば方便なり権門なり、方便権門の教ならば成仏の直道にあらず成仏の直道にあらざれば多生曠劫の修行を経て成仏すべきにあらざる故に一生成仏叶いがたし、故に妙法と唱へ蓮華と読まん時は我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり」(一生成仏抄)

 

妙法以前の大乗経典では、究極の覚りを「空」と考えたり、他力としての「仏」に帰依して浄土を願うわけですが、それは妙法からみれば、麤法であり仮の教えです。妙法では、「仏」とは一切衆生の心の中にある生命であり、それに気づかせ、仏知見を開き、仏の境涯に至らせようというのが仏の出生の目的なのです。これは法華経の方便品に書かれています。ですから上に挙げた御文のように、もし我々の心や生命以外に仏の存在を求めるならば、それは妙法ではなく方便権教という仮の教えであるので、一生成仏はできないと厳しくご指南されているのです。

 

ですから梅原氏が、帰依すべき対象は○○様という「仏」でなければならないと考え、さらにその仏を衆生の心の外に求めているとすれば、それは妙法以前の権教の見方となります。そしてその感覚のままに、法華経を「法」ではなくカントの哲学書を例に挙げて単なる「書物」ととらえ、書物に帰依する南無妙法蓮華経はおかしい、と短絡的に論じられているのです。

 

「なぜ釈尊を本尊(帰依の対象)にせず法華経の題目を本尊にするのか?」との問いに対し、日蓮大聖人は以下のように答えています。

「問うて云く然らば汝云何ぞ釈迦を以て本尊とせずして法華経の題目を本尊とするや、
答う上に挙ぐるところの経釈を見給へ私の義にはあらず釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり、末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり、其の故は法華経釈尊の父母・諸仏の眼目なり釈迦・大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり、故に今能生を以て本尊とするなり」(本尊問答抄)

 

このように法華経には久遠実成の仏やそれ以外の諸仏が登場しますが、皆、妙法によって成仏したのであり、その成仏の「種」である妙法を「父母」にたとえています。「能生」とは根源の法という意味です。

 

「釈迦如来阿弥陀如来薬師如来・多宝仏・観音・勢至・普賢・文殊等の一切の諸仏菩薩は我等が慈悲の父母此の仏菩薩の衆生を教化する慈悲の極理は唯法華経にのみとどまれりとおぼしめせ、諸経は悪人・愚者・鈍者・女人・根欠等の者を救ふ秘術をば未だ説き顕わさずとおぼしめせ法華経一切経に勝れ候故は但此の事に侍り」
(唱法華題目抄)

 
「当世の学者は法華経の題目と諸仏の名号とを功徳ひとしと思ひ又同じ事と思へるは瓦礫と如意宝珠とを同じと思ひ一と思うが如し」
(題目弥陀名号勝劣事)

 

またこのように、あらゆる仏菩薩は法華経という法によってのみ成仏したのであり、仏菩薩に帰依しても、それは仮の教えであり不完全なので、一切衆生を救うことはできず、功徳の大きさも同じではない、と仰せです。この「法」と「仏」の関係は、「法報応の三身」としても説明されます。

 

また法華経にも種々の法華経があり、法華経の中には過去に様々な仏が説いた各種の法華経があると書かれています。例えば、日月灯明仏、大通智勝仏、威音王仏、不軽菩薩などが説いた、それぞれ字数も、説かれた時間も異なる法華経があります。これは法華経が説かれたのは二千年前の釈尊の時代が初めてではなく、それ以前の遥か過去においても、多くの仏によって法華経が説かれてきたことを示しています。それは、それぞれ形態は違ってても、一切衆生を成仏させる法として一貫しているのです。また我々の知る時代においても、正法・像法・末法それぞれの法華経があり、正法時代の法華経は「二十八品の法華経」ですが、末法では「南無妙法蓮華経」が末法法華経となるのです。それはなぜそうなるのかというと、「二十八品の法華経」の中に各時代を結びつける由来が述べられているのです。

 

南無妙法蓮華経そのものが、末法法華経であり「法」なのです。ですから、梅原氏のいうように南無妙法蓮華経とは、”「二十八品の法華経」に帰命する”という単純な意味ではないのです。「二十八品の法華経」はあくまで正法時代の法華経です。末法においては効能書き(説明書)の意義はありますが、丸薬ではないのです。南無妙法蓮華経こそが丸薬なのです。正法、像法と時代が進むにつれて二十八品の法華経は、経典の効力を失っていき、しかもそのあとの時代、つまり末法は濁世と呼ばれる娑婆世界があり、人々の信仰心は薄れ、疑い深く、弘教が困難であるが、一体誰が弘教するのかということが法華経の中で問題となります。しかし釈尊を囲んで説法を聞く菩薩たちは当初、「娑婆世界では弘教したくない」と難色を示します。素直な人々が住むという他土で仏道修行がしたいというわけです。しかし、やがて娑婆世界で法を弘めたいと決意する菩薩があらわれますが、釈尊はそれをやめよと制止して、大地から地涌の菩薩を呼び出し、彼らに未来の弘法のために一切の法を託すのです。この地涌の菩薩というのは、釈尊が久遠の過去から調熟してきた真の弟子たちです。彼らは金色に輝いているのですが、その地涌の菩薩の代表である四菩薩、その上首である上行菩薩に一切の法を託す儀式が行われます。これを「結要付属」および「総付属」といい、託された法を「四句の要法」といいます。では、この上行菩薩とは誰なのか。それがまさしく日蓮大聖人なのであり、それ以外には誰もいないのです。法華経は、インドから中国に伝わり天台大師やその弟子たちが研究を深め、日本に伝わってからは聖徳太子が講釈し、日本天台宗の開祖である最澄法華経こそが最高の経典であると考えていました。また鎌倉時代には、その比叡山のもとで多くの僧が学び、各宗派を立ちあげていったのですが、法華経一切法を授かった上行菩薩であると自ら自覚し、民衆の中で逞しく弘教した人物は、法華経流伝の二千年以上の歴史の中で日蓮大聖人をおいて他にいません。また日蓮大聖人が顕した曼荼羅御本尊は、法華経の虚空会の儀式で釈尊から授かった一切法(四句要法)を大聖人ご自身の内証の覚りとしてあらわしたものなのです。ですから、このような深い意義のある御本尊・南無妙法蓮華経に対して、書物に南無をつけるのはおかしいというのは、全く的外れで浅はかな見識なのです。

 

日蓮はこのようにいってます。

「仏法は時により機によりて弘まる事なれば云うにかひなき日蓮が時にこそあたりて候らめ。所詮妙法蓮華経の五字をば当時の人人は名と計りと思へり、さにては候はず体なり体とは心にて候、章安云く「蓋し序王は経の玄意を叙し玄意は文の心を述す」と云云、此の釈の心は妙法蓮華経と申すは文にあらず義にあらず一経の心なりと釈せられて候」(曾谷入道殿御返事(如是我聞事))

 

経典には、「文・義・意」があり、経文上の文字は教えや道理を含み、またその文底には仏の真意、心があるのです。つまり、「妙法蓮華経」をただの経典の題名と思っている人がいるがそうではなく「体」であり「心」であると。

 

「御義口伝に云く此の妙法蓮華経釈尊の妙法には非ざるなり既に此の品の時上行菩薩に付属し給う故なり、惣じて妙法蓮華経上行菩薩に付属し給う事は宝塔品の時事起り・寿量品の時事顕れ・神力属累の時事竟るなり」(御義口伝)

 

「此の妙法蓮華経釈尊の妙法には非ざるなり」とは、南無妙法蓮華経とは、末法において功力を失った「二十八品の法華経」ではないと。日蓮大聖人が釈尊法華経を通じて得た覚りであり、末法において、一切衆生を救う力を持った末法法華経であることを示しています。法華経不軽菩薩品には、「正法・像法の滅尽の後、この国土において、復(また)仏出てたもうこと有りたり」と、正法、像法を過ぎた後の(末法の)時代に新たな仏が出現する原理が示唆されています。例えば、現代と二千年前を比べても、それぞれの時代に生きる人々の価値観や言葉遣いは大きく異なっています。仏法は対機説法であり、時代時代の価値観や衆生の理解力に応じて説かれるものなのです。ですから、このように各時代ごとに仏が現れて、その時代に生きる人々にもっともふさわしい形での教えが説かれる必要があるのです。

 

また、つづいて梅原氏の同書P202では、

日蓮のお題目は法然の念仏からヒントを得たのに違いないんですが・・・」

と、日蓮大聖人が法然の念仏をみて思い付きで南無妙法蓮華経をつくったかのようにいってますが、まず南無妙法蓮華経という言葉自体が、法然上人よりずっと以前から存在していたのであり、日蓮大聖人も御書で言及されてます。


「題目とは二の意有り所謂正像と末法となり、正法には天親菩薩・竜樹菩薩・題目を唱えさせ給いしかども自行ばかりにしてさて止ぬ、像法には南岳天台等亦南無妙法蓮華経と唱え給いて自行の為にして広く他の為に説かず是れ理行の題目なり、末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり名体宗用教の五重玄の五字なり」(三大秘法禀承事)

また南岳大師の他に、天台大師、伝教大師最澄)、菅原道真源信藤原道長が願文などにおいて「南無妙法蓮華経」と書き著している記録があります。いずれも法然上人が出生される以前のことです。このように歴史的に法華経を信奉した人々によって「南無妙法蓮華経」という言葉が受容されていたのです。ただこれを御本尊として顕したのは日蓮のみであり、それには特別な意味があります。

もちろん唱題行として確立する上で、また御本尊を顕すうえで、当時流行していた称名念仏密教曼荼羅から、何らかの啓発を受けた可能性はありますが、仏の名を声を出して称える(称名仏)こと自体は、法華経観世音菩薩品や陀羅尼品などにみられ、そもそも法然の発案ではありません。

また念仏自体が法然にとって比叡山での師にあたる天台僧、源信の観想念仏、称名念仏の考えを引き継いだものであり、そもそも法然が自ら編み出したものではありません。ですから梅原氏の「日蓮のお題目は法然の念仏からヒントを得たのに違いない」という解釈は、由来や経緯に関して無知と誤謬が含まれていると思われます。

法華経曼陀羅は、法華経の虚空会の儀式をあらわし、釈尊からの付属に由来する必然性があるのであり、単に念仏からヒントを得て思い付きで取って付けたというものではないのです。

 

さらに、

「そしてお題目をとなえるには、うちわ太鼓というのを、ドンドンドンとたたく。」
p201

これも後の時代にできた風習にすぎず、日蓮大聖人は太鼓を叩いてお題目を唱えるべきなどといっていません。宮沢賢治が花巻の町で太鼓を叩きながら題目をあげていたそうです。彼は、10代の頃に法華経を読んで深く感銘したようです。

 

さらに、

石原莞爾という右翼の軍人ですが、彼は日蓮思想でもって日本を強い国家にしようとした」(P204)

とありますが、石原莞爾の思想は八紘一宇であり、神武天皇を中心とした思想であって、日蓮大聖人の思想ではありません。「日蓮主義」などと呼んでおりますが、日蓮大聖人の思想や精神性とは全くかけ離れた異質なものであることを指摘しておきます。

 


日蓮大聖人は、「南無妙法蓮華経」の意義について、観心本尊抄

釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す
我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」

と述べられ、南無妙法蓮華経こそが一代聖教の肝要であり、一切法が具足されていると述べられています。御本尊は功徳聚ともいわれますが、会い難い経でもあるのです。
心ある人々は、ともに題目を声にし、また心にも唱えてまいりましょう。

 

それでは、最後までお読みくださりありがとうございました。