内村鑑三が語るジョン・ロック 人権思想はいかに実現されてきたか

『代表的日本人』の著者として有名な内村鑑三は、クラーク博士のいる札幌農学校で同期の新渡戸稲造らとともにキリスト教の洗礼を受け、アメリカに渡ってからは知的障害施設で介護人として働きながら、伝道者の道を志します。しかし宣教師たちからは、日本人はキリスト教を知らぬ暗黒の国の人間であると、差別と偏見を受けます。この時、同期の新島襄に、伝記を読むように勧められ、日蓮など敬虔な信仰の道を貫いた生きざまを見て、ルターにも比肩する人物がいたことに深く感銘を受けます。

また大日本帝国時代の国家主義が蔓延する社会からは、明治天皇教育勅語発布の奉拝式で、勅語と署名に奉拝をしたが、それが一部の者に礼を欠いたととられ、さらに帝国大学の教授の非難によって加熱し、宗教界、教育界、政界、マスコミ各界で大論争となっていきます(不敬事件)。日本中から非難と迫害を受けた内村は、教職を辞すこととなり、生活は困窮。不敬の人物として全国に知れ渡り、旅館の宿泊も断られ、自殺を考えるほどとなります。さらに病身の妻を失うなど不遇の時を過ごしました。この時、友人であった新渡戸稲造徳富蘇峰国木田独歩らに世話になっていたようです。

このように天皇主義が蔓延する世の中で、世間の人々から激しい非難を浴びながらも、彼は日本人としての誇りを持ち続け、代表的日本人5人(西郷隆盛上杉鷹山二宮尊徳中江藤樹日蓮)を挙げて、自ら英語で執筆して世界へと紹介したのです。

 

内村鑑三

 

このように国内外で迫害を受けた内村が、西洋社会における人権思想の成り立ちは、ある一人の人物のすぐれた思想が伝播し、啓蒙の波を起こしたことで国家主義からの大転換がなされてきたことを、以下のように感慨深く述べています。

 

内村鑑三『後世への最大遺物・デンマルク国の話』1946 岩波文庫 p.43-44>より抜粋

イギリスに今からして二百年前に痩っこけて丈(たけ)の低いしじゅう病身な一人の学者がおった。それでこの人は世の中の人に知られないで、何も用のない者と思われて、しじゅう貧乏して裏店のようなところに住まって・・・何もできないような人であったが、しかし彼は一つの大思想を持っていた人でありました。その思想というのは人間というものは非常な価値のあるものである、また一個人というものは国家よりも大切なものである、という大思想を持っていた人であります。それで17世紀の中ごろにおいてはその説は社会にまったく容れられなかった。その時分にはヨーロッパでは主義は国家主義と定まっておった。イタリアなり、イギリスなり、フランスなり、ドイツなり、みな国家的精神を養わなければならぬとて、社会はあげて国家という団体に思想を傾けておった時でごさいました。その時に当ってどのような権力のある人であろうとも、彼の信ずるところの、個人は国家より大切であるという考えを世の中にいくら発表しても、実行できないことはわかりきっておった。そこでこの学者は私(ひそ)かに裏店に引っ込んで本を書いた。この人は、ご存じでありましょう。ジョン・ロックであります。その本は"Human Understanding"(『人間悟性論』)であります。しかるにこの本がフランスに往きまして、ルソーが読んだ、モンテスキューが読んだ、ミラボーが読んだ、そうしてその思想がフランス全国に行きわたって、ついに1790年(ママ)フランスの大革命が起ってきまして、フランスの二千八百万の国民を動かした。・・・それから合衆国が生まれた。それからフランスの共和国が生まれた。それからハンガリアの改革があった。それからイタリアの独立があった。実にジョン・ロックがヨーロッパの改革に及ぼした栄光は非常にあります。

 

ジョン・ロック

 

彼が挙げる「代表的日本人」の一人に日蓮がいます。日蓮もまた、西洋で人権思想が芽生える遥か以前の13世紀に、天災や飢餓で民衆が苦しむ中、鎌倉幕府の時の権力者に「立正安国論」を上奏し、仏と衆生、そして環境世界との関係を経文を挙げて、一切衆生の仏知見を開かしめる法華経に根差して民衆救済すべしと訴えたのでした。しかし幕府は、立正安国論に述べられた深き意義を理解しようともせず、あろうことか日蓮を迫害し、処刑を試みたり流罪にしたのです。

 

同じく13世紀のイギリスで絶対王政を支えていたのは王権神授説という考えでした。これは、人間は神の被造物というキリスト教の思想に由来するもので、王権とは、神から授かった絶対的な権力であるので、人間はその支配下に置かれなければならないというように、権力維持の論拠として利用されていました。民に兵役や重税を課す王の横暴から諸侯が反乱を起こし大憲章(マグナカルタ)がつくられます。このとき「王もまた法治下にある」ということを約束したものの、絶対王政をくつがえすほどの力とはなりませんでした。この思想的根拠を転換したのがホッブズで、彼は人間を神の被造物ではなく「物質」ととらえ、人間は「自然状態」であり、「国家と人間は契約によって結ばれている」と述べて、王権神授を退けたのでした。これにルソーが「革命権」や「抵抗権」などを加えて、国家に対する人権の優位をより確かなものとしていったのです。

 

このように、ある政治体制の背景には必ず何らかの思想的基盤があるわけです。絶対王政の背景にある王権神授説。そして人権思想を芽生えさせた王も民もともに自然状態であるという思想。鎌倉時代日蓮の時代は、主に念仏、そして真言、禅だったといえるでしょう。大日本帝国は、憲法はあったものの、民主主義とは名ばかりの国家主義であり、主権は天皇にあり、国民は天皇に隷属する臣民。天皇陛下のために命を捨てよと戦争に駆り出され、多くの若者や国民がかけがえのない命を失ったのでした。

 

戦後民主主義となってからは、天皇は象徴天皇となり、国民の自由と人権が憲法で保障される主権在民の世の中となります。しかし今度は、格差や貧困、心の貧しさから生じる新たな問題に直面しています。哲学不在の大空位時代といえるかもしれません。人間はただの物質ではなく、可能性を持った尊厳ある存在です。政治と宗教の関係や、宗教への忌避感が高まる昨今、物事を単純化し、理解しがたいものを排斥しようとする傾向が見られます。しかし哲学の根源にあるものこそ宗教であり、人間に物質であること以上の尊厳を見出せるのは無神論唯物論ではなく、宗教的次元における生命観といえるでしょう。すぐれた宗教とは、包摂的であり寛容であるとともに、誤った思想を峻別する思想性を持つのです。仏法的には、円融・具足とか教相判釈と呼ばれます。絶待妙、相対妙ともいいます。これが一般的には理解されにくい点ではありますが、まさに妙法の持つ性格ともいえます。宗教のための人間ではなく、人間のための宗教であらねばならないし、人間に対する糾弾ではなく、誤った思想・哲学に対する糾弾でなければならないのです。日蓮はそのために諸宗に法論を挑んだのですが、かえって命を狙われるなどの迫害を受けたのです。そして日蓮は攻撃的で排他的であると誤った論評が長らくされ続けてきました。しかしそうではないのです。全く逆なのです。相手に尊厳ある仏性をみとめるからこそ思想・教え、法の優劣と正邪を議論や対話で明らかにしようとするのです。「どれも似たようなもの」「どれも正邪優劣はなく尊重すべき」。これは一見聞こえがいいのですが、宗教はどれも同じではありません。またすぐれた法をめぐり議論していくことは重要な意味があります。人権や人間の尊厳をただのルールではなく、真に実りあるものにするものは、あらゆる人々が人間の底力を示すことのできる普遍的な信仰であると思います。したがって宗教的知見を持っていくことが大事なのです。民主主義の成熟も、その国に生きる人々が、普遍的な信仰と精神性によって成熟していくことにかかっているといえるでしょう。