創造的休暇

 万有引力の法則を発見したニュートン(17世紀)のお話です。

コロナ禍で企業活動の自粛、学校の閉鎖にある現在と重なるエピソードです。

f:id:norwegian_forest:20210222221435j:plain

ケンブリッジ、トリニティ・カレッジにあるニュートン

生い立ち

1642年のXマスにアイザック・ニュートンは未熟児として誕生し、産婆から「この子は長生きすまい」と言われたそう。

農作業を放り出して水車や科学書に熱中する姿を見て、母親はケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入学させます。そこで授業料や食費を免除される替わりに、講師の小間使として雑用をするサイザーという身分となり、そのため同級生とは打ち解けなかったという。

 

師との出会い

ここでアイザック・バローという師に巡り合いニュートンは才能を見込まれ、奨学金の支給(スカラー)や学位を授与され、これにより才能が開花し、万有引力の法則や二項級数、対数の無限級数を発見。微分および微分積分学へと発展します。


ペストの流行

この頃、ロンドンではペストが大流行(1665-66年)しており、ニュートンがこうした成果を得るのは、一人でじっくりと思索をめぐらす時間を得たからといわれます。この影響でケンブリッジ大学も閉鎖されており、1665年から1666年にかけて2度、ニュートンはカレッジで彼がしなければならなかった雑事から解放され、故郷のウールスソープへと戻り、カレッジですでに得ていた着想について自由に思考する時間を得たのです。また1664年、つまりペストで疎開する前に奨学生の試験に合格して奨学金を得ていたことも、故郷で落ち着いてじっくりと思索するのに役立った。こうしてニュートンは故郷での休暇中に、「流率法(と彼が呼ぶもの(将来「微分積分学」と呼ばれることになる分野)や、プリズムでの分光の実験(『光学』)、万有引力の着想などに没頭することができたのです。「ニュートンの三大業績」とされるものは、いずれもペスト禍を逃れて故郷の田舎に戻っていた18か月間の休暇中になしとげたことであり、すべて25歳ごろまでになされたものです。結局、このわずか1年半ほどの期間にニュートンの主要な業績の発見および証明がなされているため、この期間のことは「驚異の諸年」とも、「創造的休暇」とも呼ばれています。