池田大作先生のご逝去
池田大作名誉会長逝去
2023.11.18
https://www.sokagakkai.jp/news/2528823.html
先生からは、誇りあるお名前をいただきました。
私は福子なので、父母から先生が師匠であると子供の頃から聞いてきた。
しかし、先生が為そうとしていることの意味を、おぼろげながらも理解するまでには相当な年月がかかった。
今思えば、若い頃は、感覚的に真偽や正邪を感じ取ってはいたものの、それを言葉にするための十分な知識も経験もなかった。
いわば、私は長い間、無神論者であったとすら言え、本当の意味で信仰心を持つようになったのは、ここ数年の、最近になってのことだ。
学会の中で生まれ、育ち、その世界を見てきたからといって、信仰心が打ち立てられるわけではない。大幹部になっても離れていった人がたくさんいるのは、妙法の哲学が、自身の中で確立されてないからと私は思っている。
法華経第四に信解品とあるが、信と解は互いに補うものであるが、自身の中で芽生える多くの疑問に対し、自身で回答を見いだしていかなければ、つまり求道心を起こし、自問自答していかなければ、それらを打ち立てることはできない、と私は思う。
言い訳になるかもしれないが、仏法に関する多くの著作や対談が出版されだしたのは、90年代の後半以降だった。私がそれらを手にして実際に読んだのはもっと後のこと。
先生が為された事績、偉業が人類史にどのような意義を持つのか、計り知れないが、
よくよく知っていかなければ、言葉にすることも、伝えることもできない。
先生のお言葉、ご指導は即仏法の教えであるので、簡単ではない。
自分自身が人間革命を起こしていく、というのがいかに困難なことか。
私には、あまりにも多い指導を目の当たりにすると、この妙法の信仰というものが、途方もないもののように感じられる。
学ぶべきことがあまりにも多く、途方もないが、数年前と比べると
少しは進歩することができたのではないか。
先生には、直接にお会いしたことはなく、本心を言うと、面を交えて、何かと、色々と聞けたらと思うことは何度もあった。
学会に属していても、わからないことはたくさんある。
また返ってくる言葉は、おそらく人による。
ともあれ仏法史上、不世出の指導者であり、恩師戸田先生の構想をすべて果たしてこられた。
多様性といえば聞こえはいいが、世界は確固たる哲学など持たず、いまだ混沌をきわめている。
このような世界にあって、妙法の哲学、人々や社会と関わる運動は、現実に歴史の流れを変える力を持つのか。
理念を行動に移すのは簡単ではない。
しかし理念のままでは、乖離は埋まらない。
高邁な理念を語る人は多いが、人を育て、社会と関わりながら建設、創造、変革していくことがいかに困難な事業か。
私はキャンバスを望むように、それらを俯瞰しながら、これからも先生の残された著作やご指導から学び、私なりの方法で伝えていけたらと思う。
また、ご存命のうちに果たすことができなかったが、妙法の画家として実証を示し、お応えしていけたらと思う。
池田先生のご冥福を、心よりお祈りいたします。
今まで、大変おつかれさまでした。
本当に、ありがとうございました。