国際社会で核兵器の製造、運用は違法となり、禁止されました。
しかし依然として非加盟国には効力が及ばず、核廃絶にはまだ様々な問題があります。
以下、記事の引用(黒色)です。
青色文字はブログ主のコメントです。
多国間の枠組みによる軍備管理の成果としては、1970年に発効したNPT(核拡散防止条約)以来、この半世紀で最も大きなものと言えるでしょう。NPTが50年にわたって世界の核体制の安定を支え、十分ではないにせよ、核の拡散に歯止めをかけてきたことは間違いありません。
続きはのちほど・・・
ブグローの代表作の一つ。
サンドロ・ボッティチェリ作「ヴィーナスの誕生」のオマージュ。
ウィリアム・ブグローは、1825年にフランスの大西洋に面した町ロシェルに生まれ、
フランスの美術アカデミーで本格的な絵画を学んだアカデミック美術を代表する画家です。
青少年時代から絵が好きだったようですが、ワイン店を経営する父からは
なかなか理解が得られず、学費等の援助の面で苦労したようです。
それでも余りある情熱で美術学校で絵を習い、めきめきと頭角を現していきます。
(いかなる反対にあおうと、このような内なる情熱こそが道を開くものです。)
日本ではゴッホやモネなど印象派の作品がよく知られていますが、
印象派が登場する少し前の時代に生きた画家であり、
生前は人気が高かったのですが、没後100年くらいは
印象派やキュビズムなど他の時代の作品と比べると意外と知られていません。
とにかく凄い作品ばかりなのです!
以下、制作年順に主要な作品を紹介します。
(作品数が多く、ここに挙げていない魅力的な作品もたくさんあります。)
画家の生涯など詳細はまたの機会に・・・。
比較的若いころの作品です。ダンテの「神曲」から。
この作品を描いた1850年(25歳くらいの頃)に「ローマ賞」を獲得します。
「ローマ賞」はルイ14世が創設した芸術家養成のための奨学金制度です。
ルイ14世は「朕は国家なり」といったフランスの皇帝で絶対王政の象徴のような人物ですが、
芸術に対する造詣は深く、フランスの美術アカデミーの淵源はイタリア・ルネサンスの研究家
で知られるジョルジョ・ヴァザーリがフィレンツェに創設した「素描アカデミー」にあります。
こちらがローマ賞を獲得した作品です。
以下はすべて1870年以降の熟達を極めた作品となります。
どれも言葉にならないほどの圧巻の作品群です。
ある批評家はこれを「われわれの世代の最も偉大な絵」と評しています。
ニュンペーとサテュロス - Wikipedia (こちらで拡大図が見れます)
紀元前8世紀頃の古代ギリシャの吟遊詩人ホメロスを描いた作品。
ホメロスは叙事詩「イーリアス」と「オデッセイア」の作者として有名です。
絵の人物が目を閉じているように、ホメロスは生まれつき盲目だったようです。
詩才のある人物や有名な予言者たちの多くは盲目であったといいます。
「オデュッセイア」に登場するスケリア島の王女ナウシカアー
「風の谷のナウシカ」はこの王女の名前に由来してるようです。
宮崎駿作品は神話をモチーフにしたテーマや名称がよく用いられてます。
いかがでしたか?これはぜひ本物を近くで観てみたいものですね!
細かな解説、感想などはまた追って補足していきたいと思います。
仏典には「心は工(たく)みなる画師の如し」とあります。
ブグローのごとき技術は、画家にとって羨望の的であり、
生まれ持った才能と長年に渡る努力と情熱のなせる賜物です。
想像力に翼が生えたようなものです。
このような技術の基礎を若いうちに身につけることができるのは極めて幸運なことです。
森羅万象を描き切る技能を得て、四方の山々を見渡す境地に至ることができれば、
どんなにすばらしいことでしょう。
今年の初鰹は豊漁らしいです。
カツオは黒潮の流れに乗って来るので「黒潮の子」といわれます。
黒潮の源流は、日本から遥か1万km離れた赤道付近。
この黒潮が近年、日本南岸で大蛇行しています。
オレンジが海水温の高い場所で、緑が低い場所。
その境目が黒潮です。(青は冷水渦。)
この黒潮の大蛇行がカツオの豊漁をもたらしてるそうなのです。
これが2017年8月から現在まで続いており、
1965年以降最長とのことです。
平年は図のように蛇行せず、一直線に北東に流れます。
そのため海の幸が激減してます。
海苔、アワビ、サクラエビ、シラス・・・。
初ガツオは嫁を質に入れてでも・・・といいますが、
江戸時代は貴重なものだったのです。
せっかくの豊漁なので食べてみたいですね!
インド独立の父、マハトマ・ガンジーは自身の信仰について、
「自分はヒンドゥー教徒であり、イスラム教徒でもあり、また、原始キリスト教という意味ではキリスト教に賛同する」
と言っていたそうですが、仏教における仏典の最高峰である「法華経」にも大いなる関心を寄せ、その後日蓮を知り、独立運動の同志たちと朝夕「南無妙法蓮華経」と唱えていたそうです。
thelotussutra.org ガンジーは、あらゆる風雪に耐えてなお、多くの民衆から支持されてきた「法華経」とはいかなる経典であるのか、その真意を知りたがっていたのですが、当時は法華経に関する資料をなかなか手にすることができませんでした。
そんな折に、世界的にも著名な仏教学者であり、言語学者でもあったラグヴィラ博士を通じて、日本人とヨーロッパ人の共同で編集され、1908年にソビエト以前の旧ロシアで出版された「サンスクリットの法華経」とオックスフォード大学出版の「東方聖書」という書籍に載っていた「英訳 法華経」を手渡されたといいます。
そして法華経を読んだガンジーは、博士にたくさんの質問を投げかけてきました。
ラグヴィラ博士
ラグヴィラ博士は、日本人との出会いを通して法華経を学び、日蓮大聖人について書かれた日本の仏教学者の本を読んで、七文字の題目の歴史的背景や意義についてガンジーに説明しました。
博士は、法華経の眼目である「南無妙法蓮華経」の意味について「森羅万象を形成し、発展拡大しゆく根源の実体である」と説明しました。(「諸法実相」ともいいます。)
ガンジーは、南無妙法蓮華経が「人間に内在する宇宙大の力の究極の当体を表現しており、宇宙の至高の音律が奏でる生命そのものであること」を覚知したと博士は語っています。
以来、ガンジーは自らの道場(アシュラム)での祈りに「南無妙法蓮華経」の題目を取り入れるようになりました。ラグヴィラ博士は「ガンジーの師匠は、日蓮大聖人である」と息子であるロケッシュ・チャンドラ博士に語ったそうです。
アシュラム(道場)での祈り
ロケッシュ・チャンドラ博士はインドの著名な仏教学者であり仏教に関する著書は462以上を数えます。インド文化国際アカデミー理事長であり、インド国会議員を歴任された人物です。また創価学会・池田SGI会長とも対談し、共著に「東洋の哲学を語る」(第三文明社)があります。
池田SGI会長とロケッシュ・チャンドラ博士
■ガンジーの冊子(祈りの言葉)
2014年に開催された「法華経――平和と共生のメッセージ」北海道展では、ガンジーの祈りの言葉を収めた「冊子」が初公開されました。そこにはインドのタミル文字とデーヴァナーガリー文字で「ナムミョウホウレンゲキョウ」の音が記されています。また祈りの意義について、以下の言葉が収められていたといいます。
「祈りとは、心の内面から自然発生的に湧き上がるものである」
「祈る者は、全身全霊で隷属を拒否する者である」
このように仏教発祥の地であるインドにおいて、インド独立の父と呼ばれたガンジーが日蓮大聖人を通して法華経の真髄に迫り、日々同志たちと共々に南無妙法蓮華経とお題目を上げていたというのは特筆すべきことです。1930年代半ばといえば、初代牧口常三郎先生と戸田城聖先生が創価教育学会を創立したばかりの頃であり、丸眼鏡をかけ、痩身で頭脳明晰なガンジーが民衆を率いる姿は、どことなく戸田先生の姿を彷彿とさせるものがあります。
ガンジーは晩年、惜しくも凶弾に倒れますがイギリスの支配下にあったインドは、1947年、独立を勝ち取り、ガンジーの願いは成就していきます。
日蓮大聖人は「治病大小権実違目」という御書のなかで、富木常忍から受けた「疫病がなぜ収まらないのか?」との質問に対して、疫病を社会の病と捉えた上で、大乗と小乗、権教と実教を取り違えてはならないことを述べられ、さらに実教の法華経の中でも、観念観法である天台の「理の一念三千」は己心の煩悩と対峙するのみであり、現実変革の力はないと論じます。まして法華経を差し置いて小乗、権教を用いるのは猶更であり、時代・社会の歪みを治すのは、法華経以外になく、日蓮仏法の「事の一念三千」の題目こそ、万人に開かれた成仏の直道であり、国や環境をも変えていく力があることを述べられます。
インドにおいて仏教といえば、糞僧衣(オレンジ色の袈裟)を着て、托鉢行や厳しい禁欲。黙然と座禅・瞑想に耽るなど、己心の平安を求める修行がいわゆる伝統仏教のあり方ですが、ガンジーをはじめ、インドの著名な仏教学者らが日蓮仏法に関心を寄せていたのは、現実の宿命を変えゆく力強さを題目の声、祈りに感じていたからかもしれません。