神戸海軍操練所と勝海舟の私塾(海軍塾)

神戸海軍操練所跡(神戸市中央区新港町)
江戸幕府軍艦奉行であった勝海舟は第12代将軍徳川家茂に進言し、
外国船に対抗し海軍の人材を養成しようと、
天然の良港であった神戸港に海軍操練所を開設。
これに隣接した勝海舟の私塾(海軍塾)には、
明治維新の立役者となる坂本龍馬を塾頭に、
陸奥宗光ら諸藩の志士が集い、
佐幕派、討幕派、攘夷派、脱藩浪人らが一斉に航海術を学びました。
勝海舟には幕府、諸藩の枠を超えて日本の海軍をつくる、
という壮大な構想があったのでした。
しかし勝塾に学ぶ志士の一部が、
蛤御門の変禁門の変)で長州藩の勢力として加わり、
会津藩主で京都守護職松平容保らの排除を目論んだことで、
京都市中は市街戦となり、この戦火により約3万戸が焼失するなど、
太平の世を揺るがす大事件となりました。
これにより勝海舟は責任を取らされ軍艦奉行を罷免、
操練所は廃止されてしまいました。
 
 
「異体同心なれば万事を成し同体異心なれば諸事叶う事なし」
(異体同心事)
 
「よき弟子をもつときんば師弟仏果にいたり、あしき弟子をたくはひぬれば
師弟地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず」
(華果(はなみ)成就御書)
 
ありがとうございました。