法蓮抄(父子成仏抄) ~烏竜・遺竜(中国の能書家)

法蓮抄(父子成仏抄) 第十章 自我偈読誦の功徳を讃える

(通解)

彼の諷誦には「慈父が亡くなった日から十三回忌の日まで、釈迦如来の前で自ら自我偈一巻を読誦し奉って聖霊に回向してきました」等とある。

 今の日本国の人々は仏法を信じているようにみえるけれども、昔まだ仏法が渡ってきていなかった時は仏ということも法ということも知らなかったのであるが、物部守屋聖徳太子との合戦の後は信ずる人もおり、また信じない人もいた。

 中国も同様であった。笠の摩騰迦が中国に入って後、道士と論争があり、道士が負けたので初めて信ずる人も出てきたけれども、不信の人が多かった。

 ところで、烏竜という能書家は字を書くことが上手であったので、人々はこれを用いた。しかしながら、仏経だけはどのように頼んでも書かなかった。最後臨終の時、息子の遺竜を呼んで「おまえは我が家に生まれて芸を受け継いだ。私の孝養のためには仏経を書いてはならない。とくに法華経を書くことのないように。我が本師である老子は天尊である。天に二つの日はない。それなのに彼の経には『唯、我一人のみ』と説いている。けしからぬこと甚だしい。もし遺言をたがえて、書くようなことがあったならば、すぐに悪霊となって命を断つであろう」といって、舌が八つに裂けて頭が七分に割れ、眼耳鼻等の五根から血を吐いて死んでいった。しかしながら、その子は法の善悪をわきまえていなかったので、我が父が謗法のゆえに悪相を現じて阿鼻地獄に堕ちたとも知らず、遺言に従って仏経を書くことはしなかった。ましてや口に誦することはなかった。

 こうして時が過ぎるうちに、時の王を司馬氏といった。仏事があった時に経を書写することになり、中国一の能書家を尋ねられた結果、遺竜に決定した。

 召して命じられたところ再三にわたって辞退したので、やむをえず他の書家に一部の経を書かせられたが、帝王は気に入られなかった。なおも遺竜を召して「おまえが親の遺言だからといって私が命ずる経を書かないということは理由にならないことであるけれども、一応それは許そう。ただ題目だけは書くように」と再三、命じられた。遺竜はなおも辞退した。

 大王は気色ばんだ顔で「天地であっても王の支配するところである。そうであれば、おまえの親はすなわち私の家来ではないか。私事をもって公の事を軽んずることがあってはならない。題目だけは書きなさい。もし、そうしないならば仏事の場であっても、速やかにおまえの頭をはねるであろう」と言ったので、題目だけは書いた。いわゆる〝妙法蓮華経巻第一、……巻第八〟等と。

 その夕暮れ、自宅に帰って嘆いて「私は親の遺言に背き、王の命令にしかたなく仏経を書いて不孝の者となってしまった。天の神も地の神もきっと怒り、不孝の者と思っていることであろう」と言って寝た。

 夜、夢のなかに大光明が出現した。朝日が照らしているのかと思っていると、天人が一人、庭の上に立たれ、また無数の眷属が連なっていた。この天人の頭上の虚空に六十四の仏がおられた。遺竜が合掌して「いかなる天人でいらっしゃいますか」と問うと、答えて、

 「私はおまえの父の烏竜である。仏法を誹謗したために舌は八つに裂け、五根から血を出し、頭は七つに割れて無間地獄に堕ちてしまった。彼の臨終のときの大苦でさえ耐えられるとも思われなかったのに、無間地獄の苦しみは更にその百千億倍である。人間の世界で鈍刀でもって爪をはがされ、鋸でもって頸を切られ、炭火の上を歩かせられ、いばらの中に閉じ込められたりした人の苦しみも、この苦に比べれば物の数ではない。どうにかして我が子に告げ知らせようと思ったけれども、かなわなかった。臨終の時おまえを戒めて、仏経を書くことのないようにと遺言したことの悔しさはいいようのないほどであった。後悔先に立たず、我が身を恨み、舌を責めたけれども、なんの甲斐もなかった。ところが、昨日の朝から法華経の始めの〝妙〟の一字が無間地獄の鼎の上に飛んで来て、変じて金色の釈迦仏となった。この仏は三十二相を具え、顔つきは満月のようであった。大音声を出して『たとえ法界のすべてにわたって善根を断ち切ってしまった諸々の衆生も、ひとたび法華経を聞くならば必ず悟りを成ずるであろう」と説いた。この文字のなかから大雨が降ってきて無間地獄の炎を消し、閻魔王は冠を傾けて敬い、獄卒は杖を投げ捨てて立っており、すべての罪人は何事かとあわてていた。また〝法〟の一字が来て、前と同様であった。また〝蓮〟、また〝華〟、また〝経〟と、このようにして六十四字が飛び来って六十四の仏となった。無間地獄に仏が六十四体おられるので、六十四の日月が天空に出現したようであった。天から甘露を降らして罪人に与えた。『いったい、これらの大善事はどういうことなのでしょう』と罪人らが仏にお尋ねしたところ、六十四の仏が答えていうには『我らの金色の身は栴檀や宝山から出現したものではない。この身は、無間地獄にいる烏竜の子の遺竜が書いた法華経八巻の題目の六十四の文字である。彼の遺竜の手は烏竜が生んだところの体の一分である。遺竜が書いた文字は烏竜が書いたことになるのである』と説いた。それを聞いて無間地獄の罪人らは『我らも娑婆にいたときは子もあり、妻もあり、眷属もいた。どうして弔おうとしないのであろう。また弔っても善根の力用が弱くて来られないのであろうかと嘆いたけれども、効果はなかった。あるいは一日二日、一年二年、半劫一劫と経って、このような善知識に会えて助けられた』といって喜び、ともに眷属となって忉利天に昇ることになり、まずおまえを拝してと思って来たのである」

 と語ったので、夢のなかでうれしさが身にあふれた。別れて後、またいつの世にか会おうと思っていた親の姿をも見、仏をも拝することができたのである。

 六十四の仏が語っていうには「我らには特別の主はいない。あなたは我らの檀那である。今日からはあなたを親と思って守護しよう。あなたは怠ってはならない。一生の後は必ず来て兜率の内院へ導こう」と約束されたので、遺竜はとりわけ畏まって〝今日以後は外典の文字を書くまい〟と誓った。

 彼の世親菩薩が〝小乗経を二度と読誦しない〟と誓い、日蓮が〝弥陀念仏を称えまい〟と誓願したようなものである。

 さて、夢が覚めてから、このことを王に申し上げたところ、大王は「この仏事はすでに成就した。このことを願文に書き留めよ」と仰せられたので、そのとおりに行われたのである。かくして、中国、日本は法華経を信ずるようになったのである。この物語は中国の法華伝記にある。

 これは書写の功徳である。五種法師のなかでは書写は最も低い功徳である。ましてや、読誦というのは量り知れない功徳があるのである。

 

(語句)

烏竜

 中国・并州山西省)の人。姓は李氏。烏竜と遺竜の話の原典は僧祥撰の法華伝記巻八・書写救苦第十の二・李遺竜六である。御書のなかでは「法蓮抄」に詳しく、また「光日上人御返事」にも引用される。烏竜は父親。

 

遺竜

 中国・并州山西省)の人。姓は李氏。烏竜と遺竜の話の原典は僧祥撰の法華伝記巻八・書写救苦第十の二・李遺竜六である。御書のなかでは「法蓮抄」に詳しく、また「光日上人御返事」にも引用される。遺竜は息子。

 

老子

 生没年不明。中国周代の思想家。道徳経を著す。史記によると、楚の苦県の人。姓は李、名は耳、字は伯陽。周の守藏の吏。周末の混乱を避けて隠棲しようとして、関所を通る時、関の令、尹喜が道を求めたので、道徳経五千余言を説いたと言う。老子の思想の中心は道の観念であり、道には、一・玄・虚無の義があり、それが万物を生みだす根元の一者として、あらゆる現象界を律しており、人が道の原理に法って事を行えば現実的成功を収めることができるとする。

 

唯我一人 / 唯我一人・能為救護

 譬喩品に「今此の三界は、皆是れ我が有なり、其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり、而も今此の処は、諸の患難多し、唯我一人のみ、能く救護を為す」とある。日蓮大聖人が末法の救世主として、一切衆生を救おうと思われる大慈悲である。

 

閻魔王

 閻魔は梵語ヤマ(Yama)の音写。炎魔・琰魔・閻魔羅とも書く。死者が迷い行く冥界の主である。一説によると、死者は五週間に閻魔法王のところに行く。王は猛悪忿怒の形相で、浄頬梨鏡に映った死者の生前の業を裁くという。冠をかぶっている。

 

獄卒

 地獄にいる鬼の獄吏のこと。閻魔王の配下にあるので閻魔卒ともいう。地獄に堕ちた罪人を呵責する獄吏のこと。倶舎論巻十一に「心に常に忿毒を懐き、好んで諸の悪業を集め、他の苦を見て欣悦するものは、死して?魔の卒と作る」と、獄卒となる因が明かされている。また大智度論巻十六には「獄卒・羅刹は大鉄椎を以って諸の罪人を椎つこと、鍛師の鉄を打つが如く、頭より皮を?ぎ、乃ち其の足に至る」と獄卒の姿、行為が示されている。

 

 

(まとめ)

父、烏竜は能書家※である。

 

※能書家とは、歴史上の書人で今も書名の高い人物、また現代の書家に対しても、多くの書家からその能書たることを認められている人物をいう。 いわゆる書の名人、書道界の大御所である。

 

また、中国三大宗教の一つといわれる「道家」を信じていた。仏教を嫌い、特に法華経を嫌っているが、理由は法華経譬喩品に「唯、我一人・能為救護」(ただ、我一人よく救護す)との文言があることが気に入らないのである。それで書業を受け継いだ息子にも法華経だけは書くなといい遺言としたが、この父はやがて悲惨な死を遂げ、地獄で耐えがたいほどの苦痛を味わっていた。ある時、息子遺竜が主君の命令でやむを得ず法華経の題目を書いたところ、夢にたくさんの仏が現れた。父も現れ、息子が書いた法華経の文字によって地獄で救われたと明かす。

 

「この文字のなかから大雨が降ってきて無間地獄の炎を消し、閻魔王は冠を傾けて敬い、獄卒は杖を投げ捨てて立っており、すべての罪人は何事かとあわてていた。」

まるで水戸黄門が印籠を示し、悪代官がひれ伏すのを思わせるのですが、妙法の力用によって、亡くなった家族を救うのみならず、悪を従えていく様子がえがかれています。

すなわち自身と故人の罪障消滅であり、善と悪の力関係がたちまち逆転しています。

 

これと似た説話に「盂蘭盆経」があります。目連尊者が師・釈尊から伝授した秘法により餓鬼道に堕ちた母を救済する説話があり、日本では「お盆」や「盆踊り」などの行事の由来となっています。

 

この説話(中国の能書家、烏竜・遺竜父子の事跡)は、法蓮抄のほか、上野尼御前御返事(烏竜遺竜事)「おりょういりょうのこと」にも紹介されています。烏竜・遺竜は"おりょう"、"いりょう"と読みます。父、烏竜の名は、ウーロン茶(烏龍)と同じ字なので覚えやすいですね。何か関連があるのでしょうか。

 

(あとがき)

以前、「良医病子」のブログで父が入院したことを書きましたが、このたび無事退院にいたりました。検査の結果、主治医の先生からは、初期の認知症ではあるが、現在のところアルツハイマーまでは至っておらず、投薬も必要ないとのことでした。

また今回、主治医の先生に法華経譬喩品「能為救護」や「闇なれども灯入りぬれば明かなり・・・」などの御書を引いて独自にまとめ、お渡ししていたところでしたので、今日たまたま本抄の「能為救護」の文に縁し、不思議な一致を感じたのであります。