シェイクスピア『ハムレット』よりイラスト・絵画
こんばんは。
今回は「ハムレット」をテーマにしたイラストや絵画のうち、個人的に気に入ったものを掲載しました。古くから最も人気のあった題材であり、中でも悲劇のオフィーリアは、今なお多くの画家たちによって描き続けられています。
■トマ作曲のオペラ「ハムレット」1868年パリオペラ座公演、初演のイラスト
アルフォンス・ド・ヌヴィル
(フランスの画家 Alphonse de Neuville 1835年5月31日 - 1885年5月18日)
ハムレットの絵を調べた中で、私が最も気に入ったのがこの絵です。
見事な構図、完璧なデッサン、ため息がでます。
■『ハムレットの顔』
ペドロ・アメリコ・デ・フィゲイレド・エ・メロ
(ブラジル・アカデミック絵画の画家
Pedro Américo de Figueiredo e Melo (29 April 1843 – 7 October 1905))
見つめる先は父の亡霊か(背後にいる)、父の仇である悪王か、それとも・・・
■オフィーリア
ジョン・エヴァレット・ミレイ
(イギリスの画家・ラファエル前派 Sir John Everett Millais, 1829年6月8日 - 1896年8月13日))
数あるオフィーリアの中でも最も有名な絵です。
作者ミレイはラファエル前派の画家で、ルネサンス時代のラファエル以前の初期ルネサンスの様式を模範とするもので、中世の神話、伝説だけでなく同時代の文学もテーマの対象としました。
■『オフィーリア』
ドラクロワ
『民衆を導く自由の女神』で有名なドラクロワのオフィーリア。
ドラクロワはロマン主義を代表する画家で芸術アカデミー「アカデミック・デ・ボザール」(フランス学士院の一つ)に在籍し、アカデミックな絵だけでなく、この絵のようなディティールより見た感覚を重視したタッチの作風もみられ、後にルノアールやゴッホなど印象派にも影響を与えています。
■『オフィーリア』
トーマス・フランシス・ディックシー
イギリスの画家 1819-1895
ディックシーはラファエル前派の影響を受けた画家といわれます。
物語のような悲壮感はあまり感じられませんが、非常に魅力的です。
シェイクスピアをテーマにした絵では、他に『ロミオとジュリエット』のキスシーンの絵が有名です。(下絵参照)
■『ハムレットとホレイショー』
ヴィクトル・ミュラー
ドイツの画家
デンマーク王だった父を殺害した憎きクローディアスによって決闘させられた二人です。
■『Hamlet. 』1870
アレクサンデル・ギェリムスキ Aleksander Gierymski
ポーランドの画家 1850年1月30日
最後にもう一枚。よくみるとそれほど繊細なタッチではないのですが、目を離して見てみるとハムレットが物憂げに黄昏れている雰囲気がよく表されているように思います。
個性豊かなフランドル絵画
フランドルとは旧フランドル伯領のことで、ネーデルラントともいいます。
現在の、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの低地の地方のことです。
日本ではフランダースという呼び名で知られており、
アニメ「フランダースの犬」で有名なアントワープ大聖堂がある所です。
今回はこの地方において、ルネサンス~バロック時代に生きたフランドルの画家たちをざっと概観したいと思います。
たとえばルネサンス期に限定すると、フランドル絵画は、イタリア・ルネサンスに対し北方ルネサンスといわれます。イタリア・ルネサンスが人文主義(ヒューマニズム)を基に古典の復興をめざし、生き生きとした表情や人体をテーマに描かれたのに対し、北方では、比較的ゴシックの形式や宗教色を残しながらも独創的な絵が描かれています。
フランドルの絵画は、どの画家も極めて個性的であるのが特徴です。
■ヤン・ファン・エイク
(オランダ: Jan van Eyck、1395年頃 - 1441年)
アルノルフィーニ夫妻像 1434年
初期フランドルの作品で、フランドル絵画史上最も有名な絵といわれます。
この頃、油彩の技法が確立され、従来のフラスコ(卵を使用した技法)ではできなかった精細なタッチや鮮やかな色彩が表現されています。
絵の中の男女は結婚式の様子をえがいた新郎新婦で、奥の壁に画家ヤン・ファン・エイクのサインがありますが、これは身分差がある場合に立ち合いが必要だったために作者がその証明役だったことを意味しているようです。
14世紀ではペストが流行し、右の女性はその恐ろしさを和らげるためにお腹に詰め物をして膨らんでいるのだそうで、妊娠しているわけではないらしいです・・・。
■ハンス・メムリンク
(ドイツ Hans Memling, 1430年/1440年頃 - 1494年8月11日)
貞操の寓意(Allegory with a Virgin) 1479年
2頭のライオンは男性の求愛を指しているのでしょうか。
岩に囲まれた女性は難攻不落の貞操を表しているように見えます。
■ヒエロニムス・ボス
(ネーデルラント Hieronymus Bosch、1450年頃 - 1516年)
快楽の園 1490年から1510年の期間に制作
3枚のパネルからなる三連祭壇画
左は神とアダムとイブがいる「エデンの園」、中央は(現世を意味する?)「快楽の園」、右は「地獄」を表しています。
拡大図です。
ボスの想像の世界が綿密に描かれています。
天国と快楽の園には行ってみたいですが、地獄はあまり行きたくありませんね。
今回はこれだけ。
次回は、バベルの塔で有名なピーテル・ブリューゲルとその家系の人々が描く想像力あふれる世界観。そしてルーベンスや19世紀以降の個性的で楽しい画家たちを取り上げたいと思います。とにかくフランドル絵画は独創的で楽しい絵がたくさんあるんです!
平安時代の人々と法華経
「鳴くようぐいす平安京」で始まる平安時代には、貴族たちが盛んに法華経を読誦したり、写経をしていたようで、桓武天皇の時世には、法華経の読誦に関する詔が発布されていたり、紫式部の「源氏物語」など文学作品への影響があります。また平安後期の源平合戦においては、後白河法皇や平清盛、源頼朝、源義経などの主要な武将が何らかの形で法華経に対する信仰心を示しています。
この時代に法華経を広めていた中心的な人物は日本天台宗の開祖である最澄(伝教大師)ですが、当時は南都六宗が幅を利かせており権実争論などを行っております。桓武天皇が平城京から長岡京・平安京へ遷都したのは、この仏教僧による著しい政治介入があったことも原因の一つであるようです。このようにして法華経を最第一とする最澄の天台宗は、それ以前からあった南都六宗らと同じように公認仏教として扱われるようになります。
■紫式部
「源氏物語」法華経二十八品になぞらえ全28帖から成る。
光源氏は法華経に精通。
朝夕3日間で28品を読誦するという法華八講にも参加し、とくに女人成仏が説かれる提婆達多品に感激していたようです。
今様を集めた「梁塵秘抄」を編纂
天皇ですが仏教に篤く、法華経の持経者といわれる。
今様とは、当時流行していた詠み歌です。たとえば・・・
「ほとけは常にいませども うつつならぬぞあはれなる
人のおとせぬあかつきに ほのかに夢にみえたまふ」
法華経の久遠常住の思想が垣間見れます。
冒頭「諸行無常の響きあり…」と詠った平家物語と相対するようにも見えます。また、この他にも法華経の情景描写や、功徳を讃嘆する唄がたくさん載っています。
■平清盛
厳島神社に「平家納経」を奉納
平家納経は法華経三十巻、阿弥陀経1巻、般若心経1巻に金箔や美しい絵柄を挿し入れた装飾経。清盛は願文に「善を尽くし、美を尽くした」と記しております。
栄華を極めた平清盛が財力とこだわりを込めて作らせたものともいえます。
■源頼朝
吾妻鏡によると、挙兵前に法華経を千回読もうとしたが、省略して一部だけでもよいだろうかと阿闍梨に相談したとあります。
■源義経
兄、頼朝の軍勢に追いつめられ最期を遂げる際に、弁慶に対し「法華経を最後まで読んでから死にたい」と告げ、弁慶はそれを了承し、読み終えるまでは何としても敵を食い止めようと立ち往生、討ち死にする。
■武蔵坊弁慶
観音信仰に篤く書写を行っていた。
観音経は法華経観世音菩薩普門品第二十五に由来します。
平泉より招来した法華経を納め武運を祈願した。
このように平安期には天皇や貴族を中心に法華経が信奉されていたのですが、源平合戦で平氏が滅ぼされ、武家社会である鎌倉時代が到来すると法華経は次第に読まれなくなり、代わりに法然が説いた称名念仏が人気を集めます。当時の武士たちは貴族たちに比べ識字率が極めて低く、五種妙行のような法華経の読誦や書写を行うことが難しかったためと考えられます。それよりも唱えるだけで簡単に成仏できるという阿弥陀信仰が徐々に民衆の間に広がっていったようです。
このような時代背景の中で、日蓮が登場し、八万法蔵といわれる膨大な仏典の正邪を見極め、かつて最澄が最第一とした法華経を宣揚し、唱題行という民衆に開かれた易行を確立していきます。
根っこ
咲いた花だけ 人は観て
きれいな花だと もてはやす
北島三郎さんの演歌「根っこ」の冒頭。
名曲で聴くたびにしみじみしますが、最近の若い人は聴かないだろうか。
この歌詞にあるように、目に見えない地中深くには根っこがあります。
「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」
とは、シドニー五輪女子マラソンで金メダルを獲った高橋尚子選手の恩師
小出監督の言葉だそうですが、きっとずっと前からいわれている言葉でしょう。
世界には十分な食糧を得たり、教育を受けられなかったりする人々がいたり
また恵まれた環境があるにも関わらず芽の出ない人だっています。
誰もが花を咲かせられるわけではないのが現実です。
実力を養い、道を開き、それを発揮するためには運などの要素も重要となります。
それは決してきまぐれなものや偶然的なものではなく、
生命の源にあるリズムと調和していくことであらわしていけるのです。
法華経の「三草二木の譬え」によれば、妙法の慈雨によってそれぞれの
個性や機根の異なる草木(衆生)も自身の花を咲かせることができます。
そして大事なのは楽しむことでしょう。
これは世界中のアーティストやアスリートたちが口を揃えて言っています。
自分自身の中にある、価値を生み出すための善なる衝動。
それさえあれば、たとえ日が当たらなくても十分だといえるような何かです。
それさえあれば、いつか必ず光が射すであろうといえる何かです。
ブラジル・ペルナンブコの木
ブラジルの国名の由来となっている木です。
大航海時代にポルトガル人がブラジルの地にやって来て、樹木から赤い染料(ブラジリン)が採取されるペルナンブコの木をブラジルボクと呼び、これをポルトガルに輸出し、家具や調度品に使ってきました。ブラジルという土地の呼び名はこのことからきています。
18世紀にフランスの弓職人フランソワ・トルテは、ペルナンブコの心材が持つ
振動減衰性の低さに着目し、弦楽器の弓材に最適であることを発見しました。
他の熱帯木などと比較しても音色、杢目などに優れたことから、演奏家に好まれ
現代の弓の開発において最も重要な貢献であったと考えられています。
このため、弓のストラディバリと呼ばれています。
有名な画材メーカー、ファーバーカステルの万年筆にも使われています。
このように優れた特性を持つペルナンブコは過度の伐採が行われたため希少資源
となり、今では絶滅の恐れからIUCNに絶滅危惧種として登録されています。
ブラジルの森林といえば、2019年にアマゾンの熱帯雨林が火災となりました。
二酸化炭素(CO2)の貯蔵庫であり「地球の肺」とも呼ばれており、
地球環境に及ぼす影響は少なくありません。