グラミン銀行(ムハマド・ユヌス博士)

2006年にノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行と設立者であるムハマド・ユヌス博士が聖教新聞に紹介されていましたので以下、抜粋いたします。



ムハマド・ユヌス博士


SDGs×SEIKYO〉利他の精神に基づく新たな文明を ノーベル平和賞受賞者 ムハマド・ユヌス博士
2022年12月14日
インタビュー:貧困ゼロの世界をつくる

 

1日当たりの生活費が2・15ドル(約300円)未満で暮らす「極度の貧困層」は、本年末の時点で6億8500万人に上ると推計されています。バングラデシュの経済学者であり、2006年にノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス博士は、長年にわたり、貧困の撲滅と女性のエンパワーメント(能力開花)に取り組んできました。SDGsの目標1には「貧困をなくそう」、目標5には「ジェンダー平等を実現しよう」が掲げられています。人間の可能性をどこまでも信じ抜き、地球的課題に立ち向かい続ける博士に、より良い未来を築くための方途を聞きました。(取材=サダブラティまや、山科カミラ真美)

 

◆信頼によって築かれた銀行
 


グラミン銀行

――ユヌス博士は、1983年に貧困者を対象とした銀行を設立しました。ベンガル語で「村の銀行」を意味する、グラミン銀行です。きっかけは、74年にバングラデシュで発生した大飢饉。当時、南東部のチッタゴン大学で経済学部長を務めていた博士は、飢えに苦しむ人々の現実と、自身の教える美しい経済理論の間に大きな矛盾を感じ、貧困問題に携わるようになりました。
  
 飢饉が起きた時、私は貧困の実態をつかみたくて、大学から近いジョブラ村に赴きました。そこで出会ったのが、悪徳な金貸しから借りたわずかな額を返済するために、奴隷のように働く女性たちでした。

 何とか彼女たちを救いたいとの、やむにやまれぬ思いが、銀行設立につながりました。

 始まりは小さなことです。自分のポケットマネーから、女性たちが借りていた同等の金額を貸し付け、借金を肩代わりしたのです。

 それが次第に広がり、「マイクロクレジット」と呼ばれる、無担保で少額の融資を行うアイデアに発展しました。

 本来、お金に困っている人を助けるのが銀行です。しかし、既存の経済システムの中では、資産も技術も持たない極貧層は、完全に対象から外されていた。

 バングラデシュの銀行に、貧困者への融資をお願いしましたが、皆が鼻で笑い、真剣に取り合ってはくれませんでした。

グラミン銀行の特色は、お金を借りる際、担保や法的な文書を必要としないことです。従来の銀行からは、あらゆる批判を受けました。

 「貧困者に無担保で融資なんて、あり得ない」「ビジネスは都市部でしか成立しない」「女に金は扱えない」……。そんな“常識”を突き付けられるたびに、正反対の方法をことごとく実践してみたのです。

バングラデシュの農村風景


 女性たちがきちんと返済できるのか、私にも確信はありませんでした。でも、生まれた時から、人間以下の扱いを受けてきた彼女たちに、“私もできる!”という自信を持たせてあげたかった。どのような可能性があるのかを試さずして、新しい未来は築けません。

 現在、グラミン銀行は、バングラデシュ国内だけで1000万人以上に融資をしており、うち98%が女性です。返済率はほぼ100%。こうしたグラミンふうのプログラムは、アメリカをはじめ、世界中に広がり、多くの人を窮状から救っています。「不可能だ」と言った者たちの言葉を見事に覆すことができたのです。

 
◆女性が立ち上がれば未来は変わる

 ――グラミン銀行は、貧困の撲滅だけでなく、女性の地位向上やエンパワーメントにも多大な貢献をしてきました。貧困のない世界をつくる上で重要な、女性の役割を教えてください。
  
 戦争や貧困の中で、最も犠牲となるのは女性です。彼女たちは、わずかな食べ物を夫や子どもに譲り、自分は我慢します。社会的、政治的、経済的に脆弱な立場に置かれるのは、いつも女性なのです。

 私は、グラミン銀行の事業を通して、女性に融資をした方が、真っ先に家庭や子どもに利益がいくことに気が付きました。男性は、すぐに自分のために使ってしまう傾向があるからです。

 女性たちはチャンスさえあれば、男性以上に努力をします。惨めな境遇から抜け出したいとの意志が強く、苦労を厭わない。失敗しても諦めない。女性を自立させることは、社会全体の貧困と戦うことにつながるのです。

 

また、グラミン銀行では、借り手の子どもたちが、明るく価値ある未来を築けるよう、教育ローンも提供してきました。

 母親は学校に行けず、読み書きができなかったとしても、次の世代が同じ道をたどってはいけません。この制度によって、大学に進学し、修士課程や博士課程に進んだ人もいます。エンジニアや医師になった人もいます。人生を切り開く力は、その人の中にあり、誰かにすがって生きていく必要はないことを証明しています。

 私は、こうした現実を目の当たりにするたびに、環境さえ整っていれば、母親だって、子どもと同じように自身の才能を開花できたはずだ、と思います。そして、“貧困は決して貧しい人々が生み出したものではない。貧困の責任は貧しい人々にあるのではない”との確信を、ますます強めていったのです。


(以上、聖教新聞2022年12月14日記事より)
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このような銀行が世界に存在することを大変誇らしく思います。

とはいえ、資本主義経済の世の中、綺麗事ばかりでは立ち行かないのも現実。
貧困層を対象にしたビジネスを現実的に存続させるのは大変だったそうです。

1998年には、バングラデシュで大洪水が起こり、借り手である貧困層の住宅や生活基盤の田畑が浸水する危機があり、都市部にある銀行まで足を運べないことや返済方法に苦しむ借り手のために様々な工夫もこらしてきたといいます。
それらをどのように乗り越えてきたか、こちらの記事にも詳しく紹介されています。↓

 

グラミン銀行~進化する貧困層を対象に金融サービスを提供するビジネスモデル~
何故グラミン銀行貧困層に金融サービスを提供できたのか
https://www.jica.go.jp/bangladesh/bangland/cases/case20.html