新古典主義とロマン主義

1880年のサロンの一角』1880 エドワール・ジョゼフ・ダンタン

 

■19世紀前半の画壇
この時代の美術界を支配していたのは、美術アカデミーサロン(官展)です。
美術アカデミーは、1648年フランス国王ルイ14世により創設されて以来、絶対的な地位を占めていました。組織下にエコール・デ・ボザールという官立美術学校があり、美術教育の牙城となっています。
このアカデミーが主催する展覧会がサロンで、審査に通過した作品だけが展覧会で出展することができます。またサロンで最も栄誉ある「ローマ賞」を受賞した者は、ローマのフランス・アカデミーに国費で留学する権利を得ることができるのです。新古典主義派のダヴィッドアングルがこの賞を受賞しています。
当時は、現代のように古典や私的なグループ展を行う慣習がなく、画家となるにはエコール・デ・ボザールへ入学し、サロンで入賞することが唯一の登竜門だったのです。
しかしアカデミーの基準は、古代ギリシャ・ローマの古典的規範に基づいた作風の継承にありました。神話、聖書、古代史を描く歴史画こそが至高のものとされており、風景画、静物画などは低級なものとみなされ、絵画は庶民の日常生活からかけ離れた崇高な美を象徴していました。このように伝統的・保守的な審査制度は、革新的な芸術に対しては否定的であり、アカデミズムの改革派にとっては大きな障壁となっていました。


新古典主義は、デッサンと形を重視し、理性を通じた普遍的価値の表現を理想とします。
新古典主義を代表的する画家ダヴィッド、アングルがいます。
二人ともローマ賞を獲得しており、ローマ、フィレンツェで学んだあとフランスへ帰国し、
画壇の頂点に立っています。
画風は、堅い歴史画のダヴィッドに対し、アングルは、優美で端正な曲線美であり、
絵肌はわずかな筆跡さえみせないといいます。
美しい裸婦像や肖像画を数多く描いており、アカデミズムにおいても、
かつての壮麗で物語的な歴史画からより市民になじみやすい主題へと移っています。


ジャック=ルイ・ダヴィッド


ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠 ジャック=ルイ・ダヴィッド



ドミニク・アングル


『横たわるオダリスク』1814 ドミニク・アングル


■アカデミズムへの反動 ~ロマン主義
こうした美術界を背景に、古典的規範にとらわれず、自由で力強い表現をしたのがロマン主義です。
理性偏重、合理主義に対し感受性主観に重きをおいた一連の運動で、古典主義と対をなします
恋愛賛美、民族意識の高揚、中世への憧憬といった特徴をもち、
近代国民国家形成を促進しました。
その動きは文芸・美術・音楽・演劇などさまざまな芸術分野に及びました。
古典主義で軽視されていたエキゾチスム・オリエンタリズム神秘主義・夢などといった題材が好まれ、
それまで教条主義的に抑圧されてきた個人の感情、憂鬱・不安・動揺・苦悩・個人的愛情などを扱うようになったのです。
ロマン主義(ロマンティシズム)」という言葉は、ラテン語の口語である「ロマンス語」に由来するもので、
ラテン語には文語と口語があったのですが、両者は乖離し、文語の方は庶民からかけ離れ、
知識層のみが読める難解な言語となったのに対し、口語としてのラテン語であるロマンス語は、
庶民が日常的に使う言語であり、ロマン主義という語義はこのような世俗的な意味合いがあります。
ドラクロワが主題にしたのは、フランス革命ギリシャ独立戦争ですが、それらは単に古典主義的な
歴史画としてではなく、観る者の情感に訴えるようにえがいたのです。
またクールベも、庶民の日常生活や自然風景を描いた画家ですが、
「私は天使を描かない、天使は見たことがないから」などと言い放っています。
バルビゾン派もアカデミズムから離れ、フランスの牧歌的な自然風景を主題にしました。

ドラクロワは、アングルのような静穏で優美な画風ではなく、情熱的で激しい表現を求めました。

民衆を導く自由の女神 ドラクロワ

 

■1824年のサロン


ルイ13世の誓い アングル


キオス島の虐殺 1824 ドラクロワ
1824年のサロンでは、アングルは「ルイ13世の誓い」を出品。一方、ドラクロワオスマン帝国支配下にあるギリシャで実際に起きた独立戦争の悲惨さを描いた生々しい作品を出展。従来の伝統的な画壇とは大きく異なるコンセプトに賛否両論が起こったといいます。かつてドラクロワの作品をサロンに推薦し、入選に導いたアントワーヌ=ジャン・グロでさえ、この作品を「これは(キオス島の虐殺ではなく)絵画の虐殺である」と酷評したそうです。

 


ヴィクトル・ユゴー
ユゴーロマン主義を代表するフランスの文豪であり、

ロマン主義とは)遅れてきたフランス革命であるといいます。
1789年のフランス革命が政治的な改革だったのに対し、ロマン主義はそれから三十年遅れて
芸術の分野で、フランス大革命と同じことを成し遂げようとした運動であると。
またフランス革命は、旧体制(アンシャンレジーム)からの改革だったのに対し、
芸術の分野では、古典主義からの脱却を意味するようです。
すなわち王権神授の下に階級社会が形成され、枠にはめ込む社会構造であったのに対し、
ロマン主義は、規範やヒエラルキーを気にせずに自由な創造活動を行うのであると。
 
さらにユゴーは、
美は一定の形式にあるのではなく「性格」の中にこそある
ともいいます。
古典主義では「醜悪」とされてきたものの中にも、「美」を見出せるのであると。

また詩人であり、美術批評家であるボードレールは、1845~46年のサロンで、新古典主義派から批判されるドラクロワを擁護的な立場をとり、自著ではロマン主義は感じ方の中にある」と述べています。


ボードレール